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【本】名もなき人たちのテーブル

マイケル・オンダーチェさんの『名もなき人たちのテーブル』読みおわる。11歳の少年マイケルが、父親の祖国スリランカから母親が待つイギリスへ、たったひとりで3週間(21日間)の船旅をする話。

船内での食事は毎回テーブルが決められていて、マイケルがいるテーブルは、通称〈キャッツ・テーブル〉という、船長にとってもっとも重要ではない客たちがすわるテーブルで、もちろん船長がいるテーブルからはもっとも離れた場所にある。

原題はこの〈キャッツ・テーブル〉からきている。つまりそのテーブルにすわる人たちは、誰ひとりとして世間的に名のある人でははないという意味だ。だが、あたりまえのごとくみなそれぞれに人生があり、むしろ名もない人たちの人生にこそ真のドラマがあり、それこそが、自分の人生を豊かなものにしてくれたのだ、といまのマイケルはそんなふうに思っている。

キャッツ・テーブルにすわるほかの大人たちを、少年マイケルはつぶさに観察した。船内での様子や、彼らが背負っている人生の荷物を、マイケルの視線でていねいに荷ほどきしていく。もちろん、その観察眼はキャッツ・テーブル以外の客たちに対しても向けられた。

マイケルとおなじテーブルに、おなじ年端のラマディンとカシウスという2人の少年がいて、彼らはいつしか3人でつるむようになる。この悪ガキ3人は、子どもたちにとってはいささか退屈な船旅を、たちまち大冒険、大活劇の場へと変えてしまうのだった。

全身オイルまみれで、1等客室の風通し窓の隙間から部屋へ忍び込む場面のユーモアは最高だったし、嵐の夜の甲板での大冒険は、海賊船に乗っているかのごとく胸が騒ぎ、護送中の囚人にまつわる話は、そこだけまるでミステリ小説を読むようでドギマギさせられた。結局、この囚人のエピソードは後半を読み進める推進力にもなった。

それから、マイケルより少しばかり年上の従妹のエミリーに、彼が初恋にも似た淡い恋心を抱くのにもきゅんとなった。それからそれから、船がスエズ運河を渡るときの夜の描写は、思わずハッと息をのむほど詩的で美しかったなあ。そういうことのひとつひとつが、マイケルやほかの少年少女たちのそのごの人生に、大きくかかわってくることになるのだ。

実はね、この船旅の物語にはいろいろと後日談があって、母親の元でイギリスの学校へ入り、やがて大人になったマイケルは、恋をし、結婚・離婚を経験するのだが、そうやって再び初恋の人エミリーと再会を果たす、なんともやるせない、せつないときの流れもまた、もれなく書き添えられている。

あの多感な少年時代に、船上という閉じられた空間と、わずか3週間という濃密な時間をともに過ごした友のひとりで、いまは疎遠になってしまったカシウスへ宛てた長い長い手紙のようなつもりで書いた小説が、この本なのだということが種明かしされます。

ここには、少年(少女)たちが成長して大人になる物語というよりも、大人になるより早く、子どもではいられなくなってしまった彼らの、子ども時代の最後の光と陰が全部詰まっているのだと思った。深い余韻を残す物語だ。

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