晩秋の天狗、稲に座る。

叔父の家が山の麓にあり、トイレは離れまで歩いていかねばならぬ。その過程で、トンネルのような山への道が、かぱあと口を開けているのが目に入るのである。少年時代、その先には、魑魅魍魎がいるのだと信じて疑わなかった。その代表格として頭に浮かぶのは、赤い顔に高い鼻、どこか臭いがきつそうな羽をもつ、、、天狗であった。

天狗という存在が昔から気になっていた。

やがて民俗学に興味を持ち、さまざまな文献を渉猟するうちに、どうも山伏と天狗のニアイコールな関係がほんとうな気がしてきた。海も山も、こちらとあちらの、ちょうど境界部分がある。境界には、こちら側からは山伏だったり被差別部落民だったり、究極的には天皇家がいる。あちら側からは妖怪や仏や神が出てくる。そんな、境界線上の息吹のひとつが、山の民、天狗ではないか。

神奈川県足柄には、大雄山最乗寺という禅寺がある。創建以来600年、禅寺らしく山一帯が彼らの領土である。緑は美しく、寺院は古めかしくもどこか中華風なのが面白い。まあ、大変立派な名刹だ。

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そしてここは、天狗を祀っている。名物のような長い長い階段の入り口には2対の天狗が睨みを効かせている。天狗が履く巨大な下駄もある。寺の守護神が天狗なのだ。

森閑たる山の中、ということもあり、天狗があちらこちらにいるのが自然なことのように思えてくる。

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さて、この寺のオーラスは、ご本尊を祀る奥の院である。なにせ、そこに至るまで350段もの階段をのぼらねばならぬ。そもそもすでにだいぶ足を酷使している。ここからさらに、ということで、お年寄りなんかは頭だけ下げて、退散している。

俺もそうしたかったが、めったに来るような場所でもなし、ええいと登るに決めたが、すぐに襲うは膝の震えと後悔の嵐。膝が笑うというよりも、大爆笑していた。

そんな苦労をしながらなんとか登りきってみたものの、奥の院は案外たいしたものでもなく、景色も木々にさえぎられて見えやしない。

まあこんなものか。

賽銭箱に5円を投げ入れ、さあと手を合わせるそのときに、目に入ったのだ。

賽銭箱に刻まれた、「佃政会」の三文字が。

佃政会、、、よもやと思い、裏側を見ると金子政吉とある。

大きな興奮が身体を走る。

いや、これはその界隈では周知の事実なのかもしれない。

そう思って、電波の入るところまで急ぎ下山して、検索をしてみるが、1件もこれについて触れたものはない。

佃政会は、現・稲川会系の有力組織であり、その初代の金子政吉は日本橋に地縁がある。なぜ神奈川の山中の禅寺が?

最も大切な場所に寄進物を置くほどの強い関係性とは??

疑問ばかりが浮かんでくる。

まるで松本清張の作品のようだ、とも思う。

しかし、山を降りて、川を眺めるうちに、腑に落ちる。


ヤクザは辺境の人々である。

天狗とは、仲が悪いはずがないのである。

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中郡二宮町、持続的快楽生活。