津軽海峡冬景色の歌詞のロジカル性に驚く
あけましておめでとうございます。
「おひさま」の末席にいる者として、大晦日に紅白歌合戦を視聴しておりまして、見続けておりますうちに、1977年のリリース以来、昭和ー平成ー令和と3時代にわたって歌われた名曲「津軽海峡冬景色」を心地よく聴いておりました。
ちなみに、私は青函連絡船に乗船したことがありませんので、歌からしか、情景を想像するに留まってしまいます。
が、
( 待てよ? この歌詞、調べ学習に使える合科の素材になるんじゃ?)という疾しい考えが浮かびまして、
問 以下の歌詞から、当時の青函連絡船運航時の気象条件を推察せよ
"❶上野発の夜行列車降りた時から、❷青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは誰も無口で、❸海鳴りだけを聞いている
私もひとり 連絡船に乗り、❹こごえそうなかもめ見つめ泣いていました
ああ津軽海峡・冬景色
❺ごらんあれが竜飛岬北のはずれと、見知らぬ人が指をさす
❻息でくもる窓のガラス拭いてみたけど、はるかにかすみ、見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります、❼風の音が胸をゆする泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色
さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色"
という、とんでもないことを考えてしまったのでした。
さぁ、ここからが検索しての推察探しの始まりになりました。
<乗船前>
❶ 「上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中」
▶︎ 現代では、青函トンネル(1988年供用開始)に、新幹線に飛行機にと、本州から北海道への交通機関の発達によって、青函トンネル供用開始とともに同時に青函連絡船廃止になったわけです。それに即して、「上野発の夜行列車」も廃止されたのです。(実質上の完全廃止は2014年)
ここから推測し、さらに課題が生じるのは「上野発の夜行列車が青森駅に到着したのは何時頃だろうか?」という点です。
おそらくは青函連絡船との接続を考えた運航でしょうから、およそ日中に到着したであろう、という推測が可能です。
※元函館市民のT先生から、
「青函連絡船のダイヤは昔からほとんど変わってなくて、夜行の接続は3便0535→0915 5便0730→1120 7便0950→1340のいずれか。竜飛岬付近の航行はいずれにしても午前中」
と知見をいただきました。
❷「青森駅は雪の中」
▶︎ ここは解釈が別れて、
<仮説>
a)青森駅周辺は、残雪/積雪が存在した状態であった(天候不問)
b)青森駅周辺は、積雪もある中、降雪中であった
となろうかと思います。
実際に、青森市役所の統計を見ますと、歌のリリース前の1976年には相当な豪雪であったことが窺い知れます。
(https://www.city.aomori.aomori.jp/doro-iji/shiseijouhou/matidukuri/yuki-taisaku/09/documents/01ruisekikousetusaisinsekisetuhikaku.pdf?)
まだ、ここまでの情報だけだと「青函連絡船運航時の気象条件」が確定ではありません。乗船前だもの。
❸「海鳴りだけを聞いている」
▶︎ 海とは遠い生活を送っている方や、船に乗船する機会の少ない方には、「海鳴り」というものがどういう気象現象か、わかりづらいものがあると思います。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%B3%B4%E3%82%8A)
WikiPediaから抜き出しをしますと、
"海鳴りが発生する時の気象や海況の特徴として、海岸部に比べて沖の方が荒れた天候であること、空が低い雲に覆われてどんよりとした天候であることが挙げられる。
海鳴りの原因は、沖の荒れた天候によって生じた波浪が、崩れる際に出す大きな音である。それが分厚く低い雲と海面に反射して、沿岸に伝わると考えられている。海鳴りは最大で、10km以上伝わるとされる。雲が厚ければ厚いほど、音は大きく聞こえる傾向にある"
だそうです。
まだ連絡船の乗船前なので、青森港で海鳴りを聞いたのでしょうね。数km先は、海が荒れてるぞぉ〜、外洋でもないのに。
青森港も沖も、曇天〜雪天の厚い雲に覆われているんでしょうね。
<乗船前後〜出港後>
❹「こごえそうなかもめ見つめ」
▶︎ かもめは変温動物+鳥類なので羽毛満載、暖かいはずなんですが、それが凍えるほどに見える気温のようです。
さらにかもめを調べると、日本で越冬する「渡り鳥」でもあるんですね。
(日本で観察可能な種類は25種類程度とのことで、中には留鳥種もいます)
乗船前後、または出港後少ししてからの情景と推測できます。
遠くからの視認という条件を考えれば、曇天下である可能性が高い現状では、白い大きめのかもめ、ということで、シロカモメが該当するのかもしれません。
生物学的にも、歌詞が秀逸であることがわかります。
❺「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと、見知らぬ人が指をさす」
▶︎ 青函連絡船の通常航路から、竜飛岬までの距離は、最短距離で約20kmほど離れています。
海へ出ると水平線なるものが見えるわけですが、これ、地球の半径や大気の屈折率や視点の高さによって、視認距離が変化します。(戦艦大和の艦橋が塔のように高いのは、敵艦よりも遠く水平線を視認して、有利に砲撃するためであったわけですね)
青函連絡船の船上(寒いので船室内からの光景でしょう)からの高さを、
約20mと仮定してみると、約16km先が水平線です。
竜飛岬は標高約100mですので、水平線上に見えるか見えぬかギリギリのところでしょう。
しかし、海峡は❸のような時化た状態の曇天〜雪天であることは前提条件として付与されているので、余計に視界は悪いことでしょう。仮に「見知らぬ人が指をさす」瞬間だけ、晴れ間がのぞいて奇跡的に視認することができたかもしれません。
ここで考えねばならないのは、
<課題>曇天かつ水平線の視認距離で、青函連絡船の左舷側船室から竜飛岬
は視認可能か?
※青森から函館へ向かい、竜飛岬が見えるので左舷側にいるのは確定
<仮説>
c)「見知らぬ人」が竜飛岬と思っていたのは、実は視認距離内の高野岬だった
d)「見知らぬ人」がおよその感覚で、「あの辺だぜ」と指さしただけ
e) それ以外
e)を考えた際、地図で航路や竜飛岬あたりを見ると課題解決の糸口が!
「龍飛埼灯台」の存在を発見いたしました。
図にプロットして見ると
光認距離(図中黄線)は44km! 青函連絡船航路(白線)からも灯台の光は見える!
青函連絡船からの最大視認距離(水色破線)を超えても、竜飛岬はわかる!
ごめんよ、「見知らぬ人」。疑ったりして。
曇天〜雪天の空模様で、海は時化ての船舶交通量多い津軽海峡だと、そりゃ、灯台も昼間でも灯すよね?海上保安庁さん。
図1
龍飛埼灯台、万歳!
歌詞の時系列的にも、合致いたしますね。
❻「息でくもる窓のガラス拭いてみたけど、はるかにかすみ、見えるだけ」
▶︎船室の窓って、丸窓のイメージがありますが、1976年ごろの就役していた
青函連絡船の写真を見ますと、およそ四角窓なんですね。
その四角窓を拭いて(外気温との差はかなりのもので、人もかなり乗船していて息でガラスは曇っていたのでしょうか。それとも左舷の窓側の席に座って窓にもたれかかり、自分のところの窓だけ吐息でくもったのかは想像にお任せします。ハァーっとわざとガラス窓に息を吹き掛けたわけではなさそうではあります)、竜飛岬を見ようとしたけど、
「はるかにかすみ、見えるだけ」
なんですね。ここで歌詞を解釈すると、
f)はるかに霞んで、見えるだけ
g)はるかに霞、見えるだけ
で、d)の「見知らぬ人」の「当てずっぽう説」が再浮上してくる。
やはり、「見知らぬ人」は疑わしさ満載…。
「見知らぬ人」性善説からすれば、灯台の灯りは、回転しますから、偶然にも、その回転して灯火が届かない一瞬、窓の外を見て、竜飛岬を探して、「見えねぇーじゃん(意訳)」の歌詞と化したのかもしれません。
書き加えると、船に乗ったことある方ならわかりますが、船の窓の外側って、塩が付着したりしていて、そもそも透明度低いんですよ。だから、晴天で視界がよくても霞んで見えなかったという可能性もありますけどね。
❺-❻から考えると、この「竜飛岬問題」は、「当時の青函連絡船運航時の気象条件を推察せよ」を推察するに適した条件提示はないことがわかります。
❺「息でくもる」、❻の「はるかにかすみ、見えるだけ」が気象条件の推察に役立ちそうです。
最後に、
❼「風の音が胸をゆする」
▶︎比喩表現であることは間違い無いのですが、「風の音が」からすれば
h)船室にいた状態で風の音が聞こえることで、相当なdb(デシベル)振動
を巻き起こす風が吹いた。
i )近くにいた「見知らぬ人」を「危ない人」と認識して離れようと、
オープンデッキへと出て風の音が聞こえた。
理由の如何は「見知らぬ人」なのかはわかりませが、i )説の方が妥当に考えます。合成風力下でも、風の音が聞こえても不思議ではありません。
次に「胸をゆする」というとても大切な大切な「胸をゆする」(大切なので繰り返しました)風の正体は何なのか、風速などを推定することは可能でしょうか。
(普通は、「心ゆする」って表現しますよね?)
歌詞の主人公を成人女性と仮定した際に、物理的に「胸をゆする」風速とはどれほどのものなのか。
オープンデッキの寒空の中にいますので、おそらくアウター着用でしょう。外見は想像可能で、もう一つの条件を忘れてはなりません。
アウター着用時でも「胸をゆする」、その「胸の状態」を推定しないとなりません。
「胸の状態」についてはいろいろとご想像にお任せしますが、風がゆするための「胸」の変数を考慮すれば、
・柔らかさ・弾力性 > 大きさ
ではなかろうかと…。
流体力学の計算式がめちゃくちゃ難しそうなので、私は断念。
ただまぁ、立っていられるくらいの合成風力で、胸をゆする風。
どなたか、計算されてご教示ください。
このあたりがヒントかなぁ。
紆余曲折の末に、❶〜❼までの話を総合すると、気象条件は、
天候 :曇
降水量(mm) :0〜1mm
気温(℃) :-5〜5℃
風速(m/s) :不明(15m/s以上?)
風向 :主に西(西北西〜西南西)
日照時間(h) :0h
降雪(cm) :なし
こんな感じなのかな。
歌詞を見ると2番で終わっていまして、これ、図1で航路と速度を考え、時系列を追っていくと、青森ー北海道の県境付近までで歌詞は終わっていないかとも思えます。
もしくは、荒天下で、さらには海峡の開放部へ差し掛かって、
「もう想いとかどうでもえぇわ、揺れなんとかして!」
という状況になったのではないかと邪推いたします。
楽曲としての4年前の考察(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50564)も存在しますが、津軽海峡冬景色の歌詞の凄さは、時系列で追っても整合性があり、実にロジカル。
上野〜津軽海峡上に至るまでの追体験が可能なんですね。
さらに、この作業をすることで、歌詞からこの歌の情景的な色彩は、
「灰色」「白色」の対比が1番で出てきて、龍飛埼灯台の黄色っぽい光があり、青函連絡船の旧国鉄色である、「クリーム色」と「橙色」・「青色」という想像もかき立てます。
歌詞といえど「論理国語」そのものです。
国語ー理科ー算数・数学ー社会科ー音楽ー図工・美術、さらには情報活用能力と、有名な歌謡曲一曲でも、授業ができちゃう素材になっちゃう気がしております。
こういう授業が学校で行われたら、本当に楽しいだろうなぁ。
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