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プリンシプル/夢の中を彷徨うように。

#みんなの文藝春秋
#ゲンロンカフェ
『掃除婦たちへ:この仕事をしていると、進んだ女にはごまんと出会う。第一段階は、自己啓発グループ。第二段階、掃除婦。第三段階、離婚。~掃除婦のための手引き書 A manual for cleaning woman/ルシア・ベルリン』



文系のプリンシプル

20年ぐらい前に流行った
スピリチュアルカードというのを何種類か
持っていた。
エンジェルカードとかポジティブカードとかミラクルカードとかいろんなカードがあって、毎日1枚引くとそこに書かれたメッセージがまるで神のお告げのように。

中森じゅあんさんのエンジェルカードと
チャックスペザーノ博士のポジティブ心理学カードというのを持っていたのでそれを毎日引いてはよく当たるカードがどうしても出てくる。私の場合は
「true love真実の愛」と「神の手」。

偶然の重なるシンクロニシティ(偶然の共時性)や日々の出来事の中に小さな喜びや幸福感を感じるのは昔で言えば聖書の中の福音とおなじ効果があるのかもしれない。

西洋人と違って日本では宗教観念や宗教哲学がとても曖昧というか、
絶対的な「依り代/プリンシプル」としては宗教はもう機能していないように思う。
せいぜい、葬式を出す時に宗派を調べて坊さんを呼ぶぐらいしか手を合わせる「安らかにお眠りください」の習慣しかない。

事故に巻き込まれて渋滞した道路で
頭を抱えて大声で「マンマミーア!(お母さん!)」と
叫ぶイタリア人のようにもう精神的な助けを求めるプリンシプル(依り代的存在)はとっくに日本にはない気がする。

男女関係なく気持ちや性格が穏やかで優しいタイプの人にこのようなカードの話をするととても喜んで興味をもって聞いてくれる。
理系と文系の違いの話しをした時
医者などは完全に理系でその特徴はなにか?というと
「一直線にガンガン自分を信じて突き進んでいくタイプ」で、文系とはどういうのか?というと「寄り道をしたり迷う気持ちでその時々を生きるタイプ」という話しをよくした。

この選択は間違っているかも?

もしかしたら向こうに本当に求めているものがあるのかも?

行き先や目的を決めないで
カードに書かれたメッセージで決めていくのはもしかしたら本来出会うことのない
(それはものすごく幸運なのか?)出来事にあう可能性があるおもしろさは文系の特徴かもしれない。

本来野に咲くような植物を花屋で見ると
すごく茎がしっかりしていて昔野原で見たような花ではない感じは農家の人が世話をして育てているから当然でこういうのじゃないんだけど、と思って野生の植物を探すときがある。
コスモスなどはその代表で
菊や薔薇のように人工の技術の限りを尽くして育てる植物にはない美しさを求めた。
行った事がなかった山道の続く農家にそういうコスモス畑があるというので行ってみたらまずその山道の間にできた国道沿いで迷ってしまう。

マンマミーア!「お母さん!」



私は「地図が読めない女」なのでいつもカンを頼りに歩くけど今回はスマートフォンのナビをかなり頼りにした。
ナビをみて進んでいても迷って
山道の行き止まりについた時はショックよりも少し感動があった。
地球に行き止まりがあるなんて!
来た道を引き返す時、金木犀のあまい香りだけが空気に漂う。マスクをしているのですごく暑いけどたまにマスクをずらしては
その空気で気持ちがおちついた。

夢の中を彷徨うように。

たくさんの白い夕顔が家の壁面を咲く家も見つけた。

周りは山に囲まれた農家で脇道に野生で咲くオレンジ色の黄花コスモスの群生と
白とピンクの花が群生するコスモスの道も見つける。目的地につくまで私の目にたくさんの拾い物があった。

暑い中をヘトヘトに歩く私のアタマを
だれかが笑いながらなぐさめて撫でてくれているような感じがするような、あまく緩やかな秋晴れの休日になった。

コスモス畑は農家の人たちが育てているから
花もすごくきれいなものが多かった。
私は白いコスモスだけを摘む。
まわりに花摘みに来ていた人たちがめずらしがって私をチラチラ見る。
みんな色とりどりのコスモスを摘んでいたから「白いコスモスばかり摘んでる!」
そんな感じ。
去年からじつは白いコスモスのブーケを
構想していた、ブルーのサテンのリボンを使ってフワッとしたブーケを作りたかった。

部屋に戻ってコスモスの束を
バケツに水上げしたら
私はその日アポをいれていた
議員のところに向かった。

それは「神の手」のカードを使う
一手になるかもしれない。

Tuesday