世俗的で豪華な唱句



何かを書こうとするとき、それが一種の祈りの一形式に過ぎないということを意識すると、自分自身が可愛げのある存在に思えてきて、良い。海の底で響くみたいに心地よく紡がれる言葉にも、愛を掬うような儚い言葉にも涙を流すことが出来ずに来た自分にとって、ただそこにある言葉が確かにそうだと実感できる瞬間は少ない。多分みんなそうじゃないんですかね。知らんけど。小学生の道徳の時間に読まされた詩はなーんも覚えていないし、共感を得ないと自分は正常だとも思いこめないしどこかで倫理観がバグった人が、今日もどこかで後ろ指さされている。オッケーグーグル、ちゃんと早めに寝ても早起き辛いのなんでなん。魂の修行が足りないのかな。こんなに呆れちゃう私が私とか言っていいのかな。映画館でくちゃくちゃポップコーン食べれる神経ほしかった。女の膝裏とかに興奮する能力いらないんで、物々交換的にマインド交換できないのかな。無理だね。かたつむり


ところで、新しく書いている作品は水の話なんだけど、どうしても書きたい話が別にあって、それについてもっと調べたいんだけど、全く理解できないから全然進まない。露出する人の話なんだけど、Twitterで、自分の免許証を口にくわえて自慰するみたいなアカウントがあって、それも1つじゃないんですよ。申し訳程度にぼやかしたりしてるけど、普通に知り合いなら一瞬でわかるくらいの心もとなさで、全く理解できなくて面白い。なんでそのアカウントにたどり着いたかの質問は聞きません。だいたいエロいことしか考えてないんで、ほんと、いや、申し訳ないです。話は戻って、彼らって、バレたらめっちゃめちゃに困るはずなのに、むしろバレたい、弱みを握られたいみたいな衝動があるようです。考えれば考えるほど面白い欲求だなと思わないですか?私が持っているあらゆる欲求の中で一番厄介なやつはひとを困らせたいってもので(これは詳しく書いちゃうと意味がないので書けないんだけど)そんなのの小気味悪さを優に超えていくくらい気持ち悪くて、好きになってしまいそう。理解も届かなくて薄気味悪いものってどうしてこんなに魅力的なんだろう。20年生きたら、人に対しての感情ってだいたい既出になる気がするんですけど、それを更新されると気になって仕方がないです。引かれれば引かれるほど嬉しくなっちゃうみたいな浅はかなキモさで私はできているので、存分に引いてください。みんなよい夜を。今日は疲れた。

も少し今度からちゃんと書きます。とりあえず。