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私は、1日の終わりに、今日もいい日だったなと思うことが結構多い。

どこかへ出かけた日、人とたくさん喋った日。
こんなにいい日があるのか!こういう日の為に生きているのか!と、楽しい気持ちのまま眠る。

では、どこへも出かけなかった日、一言も言葉を発さなかった日はどんな日か。
大人になってもふりかけご飯は美味しかった日、ドラマをまとめて見て満足した日、腹筋してみたら意外と出来た日。
嫌なことさえ起きていなければ、平和な日になる。

嫌な日だってもちろんあるけど、その大体は何にもしなかったことに落ち込むってだけだ。
だから何にもしなかった日だけ、落ち込まないようにしたら、大体はいい日側に入る。

それで、たくさんの日を重ねてどうなるんだろう。
いい日が多い方がいいなって思うようになってきた。
たとえば、何にもしなかった日も、いい日と思えたらいい。

少し前の私だったら、何にもしない日を減らせばいいって考えてた。

どんな日か に置き換えたけど、これは自分のことでもある。

私の嫌なところを、私が私のせいにしなければいいのだ。自責は他責という言葉に苦しめられて歳を重ねちゃったけど、やっとわかってきた気がする。

自分を責めることの方が私にとっては簡単だった。
自分を受け入れる(最初は諦めるという感覚のほうが近かった)ことがすごく難しい。
愛することとはまたちょっと違うように感じてる。
最近は私、自分のこと受け入れるの上手くなってる。うれしい。

やるべき事があって、やりたい事があって、やれない自分がいても、必要以上に落ち込まない。
落ち込んだところで結局やらない自分がいることは変わらないから。負のループを自ら作っていた。

やらなきゃと思うとやらなくて、
やらなきゃと思わないと意外とすんなりやる。

私はそういう人のようなので、
やる気とか根性のやり方は出来なさそう。
頑張らずにすい〜っと泳ぐ感じでいくぞ〜!

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