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穏やかさと無関心

私は、母と2人暮らしをしている。
母は、昔からどんな事柄に対しても反応が大きい。そして共感をかなり求めるタイプだ。

例えば、私が晩御飯を作ると「嬉しい。ありがとう。美味しい。また作ってね。」と必ず言ってくれる。
たまに母が作ると「美味しい?」と何度も聞いてくる。
ここまでは娘ながらに可愛らしい母親だと思う。
大きくリアクションをとり、周りにもリアクションを求める。これはいい。

一番よくあるパターンとして
帰宅後「今日ね、電車ですっごい変な人がいてね、、」と話し出す。
大体「声が大きい中国人がいてうるさかった。」と「1人でずっと喋ってる人がいて怖かった。」のどちらかが多い。

私はすごく悲しい気持ちになる。
この母の発言は差別的な要素が含まれているからだ。
ただ、そうでなくても嫌だ。
並んでいたのに抜かされた。とか、イライラしてる人にぶつかられた。とか、被害者側だとしてもだ。

他人のイライラや意地悪な気持ちを受けて、まんまと気持ちが伝染することが嫌なのだ。
母はそれが人一倍多いと思う。

私は大体こう返す。
「中国ではそれが当たり前の文化だから、文化の違いかな。こちらがイライラするのは勿体無いから音楽でも聴いてみたらどうかな。」
「どんな人かわからないし、自分の意思でコントロールできない部分がある人なのかもしれないよ。私がそうなる可能性だってあるんだよ。」
同じ会話を何度したんだろう。
毎回「まぁ、そうなんだけどさ」と物寂しそうに終わる。

ただ共感を求めているんだろうが、私は嘘はつきたく無いし、何より言葉にしてしまったら私にも負の感情が移ってくる気がしてとても嫌だ。
母の言い分だってわかる。電車の件で言えば、郷に入っては郷に従えと思っているだろうし、うるさくて迷惑だと思っているんだろう。
ただ、それで腹を立てたところで何もいいことがない。

放っておいたらいいのにな、という感想が多い。
ぶつかられたって、そりゃあ嫌な気分にはなるけど、それで怒るエネルギーを使う方が勿体無いと思う。
色んな物事に反応してしまうと疲れる。
穏やかに過ごした方が楽じゃないか。
でもこれは、無関心ということでもあると思う。

今日、突然の豪雨で玄関扉のポストから、家の中に水が入ってきた。
母は「最悪!玄関に水が入ってきてる!(建物の形状的に)うちだけいっつも雨が当たるよね、本当に最悪。」と私に話しかけながらタオルとバケツを探し始めた。
玄関の方を見ると雨の勢いに対して、ポタポタと垂れている程度だったので、「ゲリラ豪雨だろうし、この調子だったら放っておいても明日には乾くんじゃない?気になるようなら雨が止んでからちょっと拭こうよ」と伝えた。
母は、「でも、もし雨が止まなくて靴まで濡れたら大変じゃん。」とタオルとバケツをセット。
確かに今まで玄関の中にまで雨が入ってきたことはなかったかもしれない。
母は「〇〇(私の名前)は、なんでも反応薄いよね」と不服そうに言った。

その通りだと思った。
もちろん自分の大切に思う範囲の中で、大きな事件や変化があれば感情は動くし、日常の中でも驚いたりイラッとしたりもする。
ただ、それを長引かせたくない。
大体のことに無関心でいたいと思っているのかもしれない。
そういうブームがきているのかもしれない。


また暗めな日記になってしまった。
今日は豆腐と鶏肉のつくねを初めて作った。美味しく作れたのでいい日。おいしかったな。

読んでくださった方ありがとうございました。

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