球団ヒストリー47.理念~立ち戻る場所
活動理念
鹿児島ホワイトウェーブから鹿児島ドリームウェーブへとチーム名を変えたころ。チームは『活動理念』というものを掲げ始めた。
当時の活動理念は以下の通りだ。
理念ができた背景
この『理念』ができた背景についてお話を伺った。
ホワイトウェーブ時代も野球をする上でのルールのようなかたちで球団規則のようなものはあったが、書面にはしていなかったようだ。
ではなぜ、球団規則だけではなく『理念』を提唱するようになったのか。
そもそも、鹿児島ホワイトウェーブが立ち上がった理由は「野球がやりてぇ」だった。
ただそれだけならば、自分たちの部費で自分たちの好きなようにやればいい。そこに理念も規則も必ずしも必要ではない。
けれども、「野球がやりてぇ」と同時に「都市対抗に出よう!」と走り出したホワイトウェーブは、自分たちが出した部費で賄える以上の世界を最初から目指してしまっていた。
そこで、まだ数社ではあったがスポンサーを募り支援自販機設置の提案を受けるなどして、活動資金を捻出していた。
ここまで約6年の活動の中で、地域の企業から支援あっての野球だと身に染みていたのだろう。
地域スポーツ文化の向上に寄与するためにチームを立ち上げたわけではない。
けれども、直接間接に支援を頂いて野球を続けられているならば、何かしらのかたちでお返しをしたい。
そんな想いがあったのではないだろうか。
立ち戻る場所
「球団規則を明文化する中で、立ち戻る場所として理念を作ったんです」
球団代表國本さんはこう語る。
なにか決断に迷ったとき、球団として判断するための大元となる考え方。
この理念があるから、たとえば野球教室の依頼があれば練習の時間をずらしてでもお引き受けする。それが鹿児島の野球文化の発展に寄与するから。
選手たちから「なぜ野球教室をしなければならないのか」と声が上がったとしても、この理念があるからだと明確に伝えられる。
そもそもスポンサー企業のおかげで練習場の確保などができていると選手たちもわかっているので、そんな声は上がらないのだが。
こうして掲げられた球団の活動理念。
ブランドガイドラインには以下の二つも添えられていた。
ブランドガイドラインとして書面に整えられたのは、再出発から2年ほどあとだったようだが、当時から脈々と根底に流れる考え方だと感じたのでここでご紹介させていただいた。
現在は、さらに具体性が増して
それから10年、現在のブランドガイドラインはさらにブラッシュアップされている。
より具体的になったとはいえ、ドリームウェーブとして再出発したときの考え方と基本的に変わらない。
それは、あまりにも無名で実績のなかったホワイトウェーブ時代を地域に支えられてきたから。
全ての関わるものへの尊重の精神を育むことが、とりもなおさず社会貢献、地域貢献に直結する。
鹿児島ドリームウェーブは、活動の根っこにそんな信念を持っている。
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