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ユーザーインターフェイスのファッション

ユーザーインターフェイスの見た目の感じのことをなんと言い表したらいいのかいつも悩みます。スキューモーフィズム、フラットデザイン、そしてニューモーフィズム……。このようなUIのビジュアルデザインの移り変わりを語れる言葉をずっと探していました。

ファッションは人間のあり方を規定する

私たちは服を着ます。その日の天気や会いに行く相手に合わせたり、お決まりのコーディネートがあったり、出かけない日はずっとパジャマでいたりします。……お気づきの通り、私たちは自分の着る服を自由に選択しているようでいて、限られた選択肢からルールに従って選んでいます。

“人間において、衣服の保護機能がその形より重要だというわけではない。社会的に認められる第一段階は、まさに人間とその人にともなう装飾の付属品の上にできあがる。” アンドレ ルロワ=グーラン 『身ぶりと言葉』 p.543

衣服は社会的な地位や階級、ジェンダー、地域や職業など、所属する権力体系によって規定されます。制服は着る人を平等にするというより階級や性別を強調します。そして社会階級が厳密であるほど流行は生じません。

ルイス・マンフォードは道具は人間の身体の延長であるといい、ル・コルビュジエは身の回りにある機械を身体の拡張とし、身体と一体化する存在だと考えました。人間にとって身体こそ本来的な道具であり、新しい道具に合わせて身体のほうが変化してきたのです。であれば、衣服によって身体の動きや使い方がデザインされてきた……といえないでしょうか。

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例えば軍服は階級を表すとともに、兵器の一部として戦闘する身体の合理性を追求した衣服でもあります。ジーンズはカリフォルニアの鉱山で、身体を極限まで効率的に動かさなければならない労働者のためにつくられました。これは、近代が合理的に働く均一な身体を求める社会だということをも意味します。

さらに衣服は、身体のあり方だけでなく人間の心理も束縛します。

“ファッションは、何が美しい身体かを決定する社会的なシステムであり、「かっこいい」や「かわいい」の規準、「男らしさ」や「女らしさ」の通念、「洗練」と「野蛮」の境界などを決めていく場でもある。これらの美意識こそ、束縛の最たるものである。” 『ファッションの哲学』p.112

モダンになる身体

でも私たちはみんな好きに服を選んでいるじゃないか、と思います。特に女性は男性によく見られるために服を選び、着飾っていると思うひともいるでしょう。確かにファッションは文化的な役割を自然に見せますが、性と衣服には必然的な結びつきはありません。

“こういった考え方の裏には、女性はくらだない存在で、くだらない存在ゆえに、内面を磨かず外面を飾ることでごまかしているという、女性の虚飾神話が存在している。” 『ファッションの哲学』 p.43

近代のデザインにはこうした価値観があります。造形において装飾はベースとなる純粋な形に加えられた余計なもので、装飾を削り、純粋さを追求することがデザインだと信じられてきました。

“モダンデザインにおいては、誰がいつどこで何のために使うのかといった機能が重視されていき、次第に装飾によって意味を語るようなことは許されなくなっていった。” 『ファッションの哲学』 p.187

モダンデザインの本質は「形態は機能に従う」という言葉に表れています。ファッションはくだらないという考え方も同じ価値観からもたらされます。人間は内面が大事で、外面を飾ることは馬鹿げているという考えです。

モダンデザインの方針をそのまま人間に当てはめてしまえば、私たちは社会的役割をひたすら明確にし、社会に役立つ、合理性を追求した存在としてのみ存在を許す……というところへ向かうでしょう。それはなんだかとても苦しそうです。人間はもっと違ったあり方もできるはずです。

ファッションは身体のあり方を提案する

1926年、第一次世界大戦のなか、シャネルは革命を起こしました。当時の裕福な女性たちは長いスカートに高いヒール、きつく締め上げたコルセットを身に着けていました。しかし運転手も使用人も戦争に召集され、自分の足で買い物をし、自分ひとりで服を着なければならなくなったのです。

“服というものは、社会の変動に順応しなくてはならないし、女性たちが思いきり自由に活動できるものでなくてはならない。” 『ココ・シャネル 時代に挑戦した炎の女』 p.55

シャネルはコルセットをやめ、スカート丈を短くし、身体を解放しました。彼女の創造する身体はモダンで、シンプルな黒一色のリトルブラックドレスは完璧なスタイルです。

ところが第二次大戦後、1947年にディオールが「ニュールック」を発表したことでモードが一変します。シャネルのスタイルとは正反対の、セクシーなコルセットに長いフレアスカートです。

ディオールの「ニュールック」は生活のためでも労働のためでもない、戦争の気分を払拭するような優雅な身体です。シャネルのモダンになりすぎた身体を、ディオールが揺り戻したようなのです。

ファッション、モード、スタイル

大事な言葉が出てきました。ファッション、モード、スタイルです。それぞれいろいろな意味で使われるので定義が難しいのですが、だいたいこのような感じです。

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ファッション:目に見える衣服の形、具体的なイメージ、パターン(服の設計図)、シニフィアン
モード:衣服を意味づける言葉、ある意味の通用する時間、衣服が機能する物語、衣服のメタ言語、衣服のシニフィエ
スタイル:一貫性、アンチ・モード、永遠なもの、決定的な価値

「ファッション」はドレスやジーンズなど、私たちが着る衣服そのものです。「モード」はデザイナーやメディアが打ち出す意味づけで、例えば「ピスタチオグリーンで清涼感を」とか「大人っぽいヘルシーなシアーシャツ」などのメッセージです。最近はSNSでインフルエンサーや一般の人々からモードが発信されていますね。モードが流行の本体なのです。

「スタイル」とはモードを超えて持続する本質で、例えばシャネルのスタイルは、品格、シック、永遠の美しさ……そのようなものです。

“Fashions fade, style is eternal.(ファッションは消え去るが、スタイルは永遠だ。)” イヴ・サン=ローラン

新しいモードとしてのニューモーフィズム

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これでやっとUIデザインの移り変わりについて説明できるようになりました。UIの表層に立ち現れるビジュアルをファッションとして見るのです。例えばスキューモーフィズムからフラットデザインにビジュアルのモードが移り変わっても、Appleのスタイルは一貫しています。

ニューモーフィズムはどうでしょうか。Dribbbleの一枚のショットから広まりつつあるこの新しいモードは、ディオールのニュールックのようにフラットデザインに挑戦しているように見えます。

見当違いだったら申し訳ありませんが、ふかふかしたソフトプラスチックは、機能主義的なモダンデザインへ対抗する「可愛い」装飾のようです。

視認性については注意深く検討する必要がありますが(ゴーストボタンが流行したときのように)、アプリケーションを使い慣れていて「なんとなく押せるところがわかる」ようなユーザーには新鮮なビジュアルでしょう。

世界的な権威ではなくSNSから広まるという状況も、ファッションの世界に近いものを感じます。それに、パリ・コレクションで衝撃的なシルエットを見たときのような感じです。

“ファッション・デザインがしばしば手がける、誰も見たことのない異様な服が意味を持つのは、それによって身体のあらゆる可能性を模索することに道を拓くからである。” 『ファッションの哲学』 p.234

UIデザインについてもっと学び、良いものをつくりたいと必死な毎日の一方で、世界中のUIデザイナーがアプリケーションやそれを使用する人間のあり方を絶賛模索中な現実にもワクワクしてしまうのです。


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