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実家での6日間❬一日目❭


私は1月13日に強制退去により、突然家や家財道具をほぼ全て失った。

まさに完全なリセット状態で、新たな生活を始めることになったのだ。

直ぐに借りられるマンションは見つかったが、入居は無理を言って6日後に決定した、それまで実家にお世話になることになった、これが私にとって苦しい日々の連続だった、今回から一日ごとに振り返っていこうと思う。

私と娘とワンコのこゆきは実家のリビングの片隅に布団を敷き、川の字に寝転んだ、不思議なことにこゆきは落ち着かないと予想していたのに、すっかりおとなしくなり、布団の上に円くなり朝まで熟睡してくれたのだ。

確かに13日はこゆきにとっても凄まじい日で、ほとんど吠えまくりの一日だった、世程に疲れていたのだと思った。

次の日14日の朝7時半、早速試練は始まった、つまり起きて来た母がキッチンに現れた瞬間、けたたましく狂ったようにこゆきが吠え出したのだ。

もう狂っているとしか言えない、凄い勢いで暴れまくり、吠え続ける、私は父がまだ隣の寝室で寝ているのを気にして、こゆきを抱っこしてなだめ、懸命に落ち着かせようと頑張る。

一旦興奮すると、おさまるまで時間がかかるタイプのワンコなので、本当に大変、そして朝から思い切り吠えられた母は気分を害して、不機嫌になってしまい、これも厄介な案件だった。

父も起きてリビングにやって来た、こゆきは私が抱っこしているので、そう酷く吠えることなく、直ぐに落ち着いたので、セーフヽ(^o^;)ノだった。

ここで私は自分の感情を見つめていた、私は異様に両親の機嫌を損ねないように気を使っているんだとわかった。

娘もやっと目を覚ました、だから私は娘にトイレや洗顔等の身支度をするように言う、娘がコンタクトレンズを入れ、髪を解かし身支度を整えたので、こゆきを娘に渡し、私が身支度を整え、布団を畳んで隅に積み上げる。

母は朝食のことで苛立っていた、本来なら、父と自分の二人分を用意すればいい、今日から私と娘の分まで用意することが母には負担なのだ、私は母に「いいよ、適当に自分で用意するから」と言う、でも母は聞かない、苛立ちながら文句を言いながら用意しようと頑張るのだ、そんな母にこゆきは吠える!咎めるように吠えまくる。

父が「うるさい犬やな!こんな声でなきよったらたまらんな」と言ったので、私はビクッとして、こゆきを叱った、「もうわかったから哭かんといて!静かにして!」娘もこゆきにキレて「静かにしろ!」と一喝した、何とかこゆきも哭き止んだ、やれやれ┐(-。-;)┌
こんなことでは6日間が思いやられる、地獄でしかない、本当に憂鬱だった。

両親が先に朝食を済ませ、後で娘と私が朝食というかたちでその朝はクリア出来た。

そもそも、両親にとって犬を家の中に入れることが考えられないことなのだ、犬は外で番犬として飼うもの、それが当然と思っている、だから私を母はネチネチと非難し始めた。

「ほんまにこんなアホな犬に振り回されて、お前もアホやな、こんな犬さっさと捨ててしまったら、お前もまともな生活出来たやろうに、ほんまに情けない犬やで」

私は母の嫌味にいちいち反応してしまう、私と娘が命をかけて守ろうとしたこゆきを、そんな言い方で非難する母が許せなかった。

こゆきは人の言葉のニュアンスを理解しているので、自分が貶されたのを見逃さず、また母に向かって吠えまくる、母は「あ~イヤ!こんな犬、恐ろしい」と言い捨て、洗濯しに行った。

私と娘はガックリと疲れていた、でも直ぐに思い直す、そう!昨日の路頭に迷う可能性のあった日から一変して、マンションが借りられることになり、泊めてもらえているんだから、贅沢は言えないよね、とても有難いよね!と。

今日は、色々やることがあった、先ずあの家から持ち出した、必要なものの荷物の整理、そしてマンションを借りる為、初期費用の入金を完了させなければならない。

娘と支度をして、こゆきの散歩も兼ねて、お金を振り込みに行くことにした、幸いとても良いお天気で、気持ち良く散歩が出来そうだ。

ATMは実家の近くにはなく、かなり離れた場所に農協があり、そこまで行くしかなさそうなので、ゆっくり散歩しながら向かう。

やっと到着、ATMで振り込もうとしたら、カードが無いと出来ないことがわかり、農協で直接振り込みしようと建物に入る、こゆきと娘は外で待ってもらった。

ここでも応対してくださった女性の職員さんが親切に教えてくださり、無事に○○不動産に振り込み完了出来た、これでほぼあのマンションに住めることが確定した、凄く嬉しい気持ちだった。

帰りは、気分が良いので遠回りしてこゆきの散歩をさせようと、長閑な田園風景を楽しみながら歩く。

気がつくと、人払いのように、この世界に私と娘とこゆきだけになり、誰も見かけなくなった、凄く不思議な感覚だった、そして突然神社が現れたので、娘とこれからのことを祈って手を合わせた。

実家に戻る、母に無事振り込み出来たことを伝えると、良かったと喜んでくれた。

そしてお昼過ぎ、また母は不機嫌になってきた、だからこゆきがその母に吠えまくる、母は食事の準備が負担なんだとわかってきた、自分の好みで用意すると、食べてもらえないと思い込み、あれこれ悩み苛立ち腹が立ってくるパターンを繰り返しているようだった。

それをこゆきは指摘していた、母は無意識に食事の準備が嫌だ!というオーラを出している、こゆきにはそれが見えているのかもしれない。

何とか昼食も終わった、落ち着いた母は、少し機嫌が良い、私は食器の後片付けを引き受け、母と会話しながら作業していた。

何気に母が「毎日毎日しんどい、何の楽しみもない、ほんまに嫌なことばっかりやわ」と愚痴を言った。

私は咄嗟に言った「そんな気持ちに私もなってたよ、そんな時不思議な流れで神様から、お告げのように届いた言葉があるねん」

母は急に食いついてきた、これはチャンスだ!と私は感じた。

「幸せをありがとう!って唱えるだけで、脳が幸せを見つけようとするから、幸せな気持ちになってくるねん、凄い言葉なんやで」と私。

母は「そんな凄い言葉があったんや!もう一回ゆっくり言って!覚えるから」と言う。

だから私は「幸せをありがとう!や」とハッキリと発音して伝えた。

母は明らかに顔の表情が変化していた、こんなに単純に反応する母を凄い!と思った。

それから母は機嫌がまだ良い時は、「幸せをありがとう!」と言うようになった、と言っても、正確には幸せが母は言えないのだ!どうしても幸せという言葉が口から出せず、口ごもってしまう、母はそんなにも幸せから縁遠い暮らしをしてきたのだとわかった。

だから母は言葉を言い換えて「愛をありがとう!」と言うようになった、それで充分だと思った、あのネガティブな塊の母にとって、凄い進歩なんだから。

この日は母に素晴らしい言霊を伝授することが出来て、私は安心していた、何となくここに私たちが来ることになったのは、お役目があるからかも?と思っていたので、母を救う為にポジティブに少しでもなれるように、「幸せをありがとう」を伝えることが出来て満足していたのである。

それは甘い考えだった、もっと現実は根が深く、私も母も心は病んでいたのだ。

二日目へと続きます。

幸せをありがとう♡

ここまで読んでくださって感謝します。


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