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真夏のひとコマ、失われた過去、ストレス未来 by 夢野来人

 今年も来た、あの暑い夏。梅雨も上がり樹々も真夏の日差しに照らされていた。
 そう、去年も一昨年もこの照りつけるような日差しを浴びていた、はずである。どこかで、この日差しを浴びていたというのは、肌で感じている。なのに、それがどこだったのかわからない。
 それどころか、俺は誰なのか、名前すら思い出せないのである。
「あなた、コーヒーでも飲む?」
「ああ」
「アイスで良い?」
「いや、ホットで」
「あなたは真夏でもホットなのよね」
 そうか。俺は真夏でもホットの好きな男のようだ。それにしても、この馴れ馴れしく話しかけてくる女性はいったい誰なんだ。なかなかの美形ではある。むしろ、俺好みと言っても良い。
「はい。コーヒー。お腹は減っていないの? サンドイッチでも食べる?」
「ああ、そうだな。もらおうかな」
「正雄、サンドイッチ持って来てちょうだい」
 正雄って誰だ。ほどなく、男の子がやって来た。
「正雄、パパの前に置いてあげてね」
「はい、パパ。サンドイッチ持って来たよ」
 何だって、この俺がこいつのパパなのか。すると、目の前の肌もあらわなタンクトップ姿の美女は俺のワイフということか。
 ある真夏のひとコマ、俺の意識はそこで途切れた。


 今年も来た。あの暑い夏。梅雨も上がり樹々も真夏の日差しに照らされていた。
 すると、不意に女性の声が呼びかけて来た。
「正雄、サンドイッチ持って来てちょうだい」
 何だって? 俺は正雄というのか。しかも、子どもか。目の前のテーブルの上には、手作りのサンドイッチが置いてある。
 これを持って声をかけられた主の方へ行けば良いんだな。その声は隣の部屋から聞こえていたようだ。
 俺は恐る恐るサンドイッチを隣の部屋へ持って行った。
「正雄、パパの前に置いてあげてね」
いやいや、ちょっと待ってくれ。このヒゲヅラのオヤジが俺の父親なのか。すると、さしずめこのスリムで肩もあらわにしている細いわりには豊満な胸の持ち主が俺の母親ということか。ちょっと理解できない状況だが、何かのお芝居かもしれないし、ひとまず、この場の空気に応えなければならないと、俺はとっさに判断した。
「はい、パパ。サンドイッチ持って来たよ」
「ありがとう。正雄はいつも良い子だな。こっちへおいで。抱っこしてやる」
 男は俺を強引に抱っこして、ヒゲヅラを押し当てて来た。や、やめろ!
 ある真夏のひとコマ、失われた過去、俺の意識はそこで途切れた。

 今年も来た。あの暑い夏。梅雨も上がり樹々も真夏の日差しに照らされていた。
 目の前には見覚えのある男性が椅子に座ってコーヒーを飲んでいる。そこへ、隣から男の子がサンドイッチを持ってやって来た。
 ちょ、ちょっと、待て。このシチュエーション。どこか見覚えがある気がするぞ。
 俺は気分が悪くなってトイレに駆け込もうとした。急に吐き気を催したのだ。トイレは洗面所の隣にある。その洗面所の鏡に映った自分の姿を見て俺は愕然とした。
「何で俺が赤いタンクトップを着ているんだ!」
 これから、俺の未来はどうなってしまうのだ。
 ある真夏のひとコマ、失われた過去、ストレスを抱えた未来、俺の意識は、途切れることはなかった……


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