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こんなことがあった

こんなことがあった。

バスに乗ってぼんやり外を見ていたら、とあるバス停のベンチの横でおじいさんが倒れてけいれんしていた。バスが停まって、運転手さんがおじいさんに話しかける。おじいさんはけいれんし続ける。

私はバスから飛び出して、おじいさんのところに駆け寄って水を飲ませたり日傘で影をつくったりした。バスの運転手さんがおじいさんをベンチに何とか座らせた。バス停の脇のお店?から女の人が出てきて、救急車を呼ぶか聞いてきた。
おじいさんは大丈夫、大丈夫というけど、自分でベンチに座ることすらできない。どう見ても大丈夫じゃないので救急車を呼んでもらった。

外はとても暑い。

多分熱中症だから、涼しいところに連れて行ったほうがいいと思って、女の人に中に入れてもらえませんか?って頼んだら「何があったら大変だから無理」と言われた。
熱中症って死ぬかもしれないのに。私は言葉を失って、おじいさんの手を握ることしか出来なかった。

幸いすぐに救急車が来てくれた。救急隊員さんが、おじいさんをストレッチャーに載せるところを見届けてバスに乗った。

おじいさんが心配だった。病院まで着いて行ってあげれば良かったかもしれない。80台後半だと言っていた。自分の親があんなふうになったらと思うと心臓が縮まった。
おじいさんはバス停の横で倒れて、どれくらいの間ひとりでけいれんしていたんだろう。バス停の横を何台も車が通っていたのに、ひとりぼっちで。

「何かあったら大変だから」
その通りだ。決断には責任が伴う。何かを決めるということは、その結果を引き受けるということだ。「何かあったら大変だから」
その通りだ。何もしなければ、少なくも今日一日くらいは平穏無事に暮らせるだろう。
「何かあったら大変だから」
その通りだ。誰だってトラブルは避けたい。きっとあの女の人にも事情があったのだろう。
「何かあったら大変だから」
でも私は彼女の事情を知りたくない。この言葉がずっと頭の奥に残って嫌な感じだ。2度と聞きたくない。私は別に聖人君子じゃない。正義感が強いわけでもないし、他人に親切なわけでもない。

それでも。こんな言葉が平気で言える人間にはなりたくないし、決断することを放棄したくない。ただでさえクソみたいな世の中を、これ以上クソにすることはないじゃないか。私の目的地はバスの終点だった。バスの運転手さんは私に何回もお礼を言ってくれた。少し泣きそうになった。