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10.人生の青写真

補習の前に、他の手続きもありました。

いわゆる「ブルーノート」、「人生の青写真」の作成です。

ここら辺は、うっすらとした記憶しかありませんが、特に手間取ることなく、取り組んだ印象です。この私が。うーん、あやしい。

どんな人生にするか、生まれる前にある程度、計画を立てます。

計画といっても、具体的なエピソードを書きこむのではなく、おおまかなパラメーターが決まっていて、それを割り振る感じだったと記憶しています。

例えば、”幸せ”だけで、人生を終えたくても、それはできません。

”悲しみ”とか”絶望”も割り振らないと、計画が完成しません。

私の場合、思ったより、”幸せ”の分量が少なかったので、どうやったら”幸せ”をたくさん感じることができるのか、組み合わせを工夫した記憶があります。

いきなり大好きな人と結ばれて、死ぬまでハッピーな人生というよりは、大好きな人と別れ、愛についての気づきを得て、人生が豊かになるとか。

いつ頃どんな感じの体験をして、何を学んで、何に気づくか。

そこで起きうるドラマを思い描きながら、おおまかな順番を決めます。

自分のために。

ある程度ドラマチックな方が、学びが深いのですが、波乱万丈すぎると、自分がもたないので、本末転倒。

自分が耐えうる範囲で、最大限の学びが得られるように、組み立てます。

そして、その計画をチェックしてもらいます。

まるで、研究計画や事業計画のレポートを作成して、見てもらう感じです。

仲間に計画を聞いてもらった記憶も、うっすらあります。

ノートや写真というよりは、レポートをファイリングして、作り上げていく感じでした。

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「超えられない試練は、やって来ない。」といわれるのは、このあたりが理由かと思われます。

確かに、私の記憶では、計画を作ったのは自分。

運命を呪いたくても、誰かのせいにしたくても、自己責任です。

ですが、こんな記憶のある私でも、あまりにも大きな試練に出会うと、人生をあきらめそうになることがあります。現実問題。

そんな時は、こんな風に考えます。

この私が、計画を立てることに手間取らなかったことが、そもそも怪しい。

あいつめ(生まれる前の自分ですが)。

どうせ、「いける、いける~。」とか、適当なノリで考えたに違いない。

もう少し楽な設定にしておけよ。欲張りめ。

生まれる前の自分のダメさを認めることが、今の自分のダメさを許すことにつながります。

計画を作った自分が不完全なら、計画を実行する自分も不完全なのです。

私は、疲れたら、無理せずお休みして、人生計画も無理には進めません。

作ったのも自分、やるのも自分なのですから。

すべてが完璧なのです。

I love you.

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