防御的な優しさと本質的なやさしさ

私は優しいとよく言われる。
自分でも優しく、人当たりのいい人間を目指して来たつもりである
しかし、本質的な優しさとは、私の目指す社会で普遍的に言われる優しさとはまた異なる
おそらく社会で普遍的に言われる優しさとは、受動的で、共感的で、相手にとって都合のいい言葉をかけることなのではないかと思う
もちろん違うと思う方もいると思う
では、受動的で、共感的で、相手にとって都合のいい言葉をかける本質的な理由とはなんだろうか
このnoteのタイトルに有る通り、それはトラブルを起こさないため、相手に酷いことを言われないための「防御的」な優しさである
自分から酷いことを言わず、相手に優しいことを心がけているという自認と自信があれば、たとえ相手がひどい言葉をかけたりしてきても、それは相手のせいにできる
では本質的な優しさとはなんだろうか
本質的な優しさとは、相手の怒りを恐れず、本当に相手がポジティブに前進するのを後押しすることなのではないだろうか
そう思った年末の一日


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