頬粘膜がん 231日目 我思うゆえに我あり


 頬粘膜癌 230日目。

 血圧 120-83 mmHg
 血糖 - mg/dL (朝食前)
 酸素 97 %
 脈拍 69 拍/分
 体温 36.5 ℃
 体重 68.7 kg

 昨日は雨模様だったが今日の天気は曇り時々雨。地面はまだ塗れていない。
 朝のうちに、埋め立てゴミの日なので随分昔に天に召しましたプリンターを廃棄。ずっと部屋の片隅に保管されていたが、補完していても何もいいこともないのでようやく廃棄。この調子で少し身の回りの物を整理しよう。
 先日から服を少し捨てようとおもって断捨離している。いやぁ20代の前半に作ったバンドのトレーナーなんてさすがにサイズも着れないわけだが、色がピンクだからねw 女の子4人集めてガールズバンドみたいなのを作っててそのバンマスだったのは過去の話だ。というわけで思い出の品ではあるがポイである。思い出は僕の頭の中に残っているから良しとする。という感じでここ数日でポリ袋3枚分ぐらい断捨離した。まだまだいくぜw 今まで買った服は破れたりしなければ捨てた事は無かったので捨てられる物は山のようにある。

 昨日、退院後の検査の結果や診療明細なんかを整理した。CT画像診断の検査結果、よくよく読んでみると肺部分には転移は認められないが画像的に間質性肺炎の疑いありなのだそうだ。ふむふむ。まぁ今回じゃなくて前回の診察時はちょっと肺炎の疑いもあったからねぇ。気をつけねばなるまい。今後の画像診断の時にどう変化しているのか経過観察だ。

 直近までの血液検査記録まとめは以下の通り。

血液検査記録シート1 血液検査記録 検査項目名称,単位,参考値,測定値 2022/10/24,2022-11-11,2022-12-01,2022-12-05,2022-12-07,2022/12/13,2022/12/20,2023-01-17,2022-12-20,2023-01-24,2023-01-27,2023-01-31,2023-02-03,2023-0…

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 天気が悪くなったらいやなので午前のうちから散歩へ。

 近所で見かけたガクアジサイ。ピンク色が入って青というよりやや紫の綺麗な色をしている。梅雨の時期、普通のアジサイもいいのだが僕はガクアジサイが好きだ。見た目の輪郭がくっきりしていて色味もグラデーションのかかった葉の感じ(細かいつぶつぶの周りの花みたいなのがたぶん葉の一部だよね?)もいい。

ガクアジサイ

 近くの用水に本命のアジサイも見る事ができる。

水路脇のアジサイ

 アジサイって漢字で書くと紫陽花で字面もとても綺麗だよね。で、用水端のアジサイはずいぶん色味が薄くてほとんど真っ白と言ってもいい感じだった。なんか、以前誰かにアジサイの色はその土壌の酸性とアルカリ性によって青くなるか赤くなるかが違うんだと聞いた覚えがあるんだが本当だろうか。この真っ白なアジサイはpH5付近の中性なのか?


 あちこち歩き回って、大学病院近くにある”元ちゃんハウス”に寄り道。

 コーヒーをいただく。スタッフの元看護師であるHYさんから、仕事時代の裏話とかいろいろ伺う。看護師さんも大変なお仕事である。面白い話を一杯聞かせて貰った。

 つい先日まで大学病院に入院していて、僕がいた病棟がたまたまそうなのか分からないが随分と気立ての良い娘さん達が沢山いた。(なんか、この書きっぷりがもの凄いじじぃ臭い感じがするんだが) でも本当に性格が良い方ばかりで、大学病院って職員選ぶときに顔と家柄とかで選んでるんですか?と思ったくらいだ。おかげで入院中はとても安楽に過ごさせて貰った。看護師さんとのやりとりがとにかく心地よいのである。今時の看護師教育って凄いな。あれが演技だとか言われたらおじさんは世の中のいろんなことが信じられなくなっちゃうよ?


 雨模様の天気予報なので傘をもって家を出たんだが傘なんて必要なかったな。

 昼過ぎに家に帰ってきたんだが、その頃には雲も晴れて青空。熱くて上着代わりに着ていったシャツは脱いで半袖Tシャツだけで歩く。

 自宅近くの最期の難所、心臓破りの丘。傾斜半端なし。

坂道の上を目指して

 血中酸素がガンガン下がっていく感じが実感できる。今日も無事に家にたどり着いた。



 夕方は座骨神経痛のリハビリ。

 今日のリハビリの担当の先生は、メタル好きの映画が趣味で,好きなのは哲学っていうほぼ同年代なんじゃないかと思われる先生。先日マッサージしてもらった時に、なんかそんなのが好きだとかって話で量子力学だとかひも理論だとか、二重スリット実験の話やシュレーディンガーの猫の話に付き合ったら気に入られてしまったらしい(汗)

 今日は思考実験ですとかって話で、自分のクローンが作られた時に記憶や思考が同じだったらそのクローンは自己なのかとか、転移装置で転移するはずが転移元に本体が残ったままコピーが転移先に作られてしまったらそれぞれの自己はどうなのかとか、そんな話にお付き合いすることになってしまった。なんだか、面倒なリハビリ室であるw


 個人的にはクローンだろうが、機械でできていようが脳がコピーされて記憶がコピーされていれば自己だよねぇとは思う。同時に二つに分離してしまう事と、タイムマシンで時間軸が違う個体が同時に存在することにどのような違いや問題があるのかはイマイチよくわかんないがそういう事だ。事故で自己が分割されたら、それぞれの自己は同価値にちがいない。クローン脳と電子部品でできた脳だったらどうだろう? 同じ機能を果たすなら機械でできた脳であっても自己は存在しそうだ。

 どちらも自己だとしたら、自己を規定するものはなんだろう。精神は肉体に宿ると言われるが宿っているのは心臓になのか脳なのかで言えば多分脳だろう。その脳の機能が電子部品に代用されてもそれは自己なのか。多分、自己なのだろう。だとすれば、自己ってのは物ではなくて機能に宿っているんだろうか。

 ”我思う、故に我あり”や”人間は考える葦である”なんてのは自己の本質は思考するというその行為なのだと物語っているのかもしれない。

 よし、明日のリハビリの時にはこれを回答として持っていこう。そんな話が明日も続くのかはわかんないがw 自己の本質は”思考する”という行為なのだ。AIに今の所自己がないのは”学習”したり”判定”したりはできるが”思考”していないのだ。



 今日もよい1日であった。


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