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心残りはあるか?

先日、父が亡くなりました。なんだか気持ちの整理は出来たような、そうでないような感じではありますが、葬儀も終わりひと段落ついたところで書いています。

父はどんな人だったか?改めて振り返りました。

父は昭和のジャパニーズサラリーマン。
平日はろくに顔を合わせることがなく、週末は疲れて家で寝ている人でした。

昔から糖尿病の治療をしていたようなので、週末寝ていたのはその影響もあったのかもしれませんが、子供の私には知る由もありません。

幼い頃、父の机の引き出しを開けたら、たくさんの会社の名刺、しかも全部父の名前が入っているものを見つけたことがあり、父はきっと悪いことをしてるのだと思い、怖くて聞けなかったことがありました。あとから母に聞いた話では、転職を繰り返した時期があったとかで、短期間で新しい会社へ移ったため知らない会社の名刺がたくさんあったようでした。

私が覚えている父の姿は、自分が大人になって働き出した頃以降になります。遠くの会社まで毎日電車通勤していた父。酒も飲まず、賭け事もしなかった父ですが、友人との麻雀とか将棋、囲碁など勝負事は好きな人でした。

姉が早くに嫁に行ったこともあり、父の口癖は老後はお前に世話してもらう、でした。実際私は再婚するまでの間、実家のそばに住み両親と生活していました。当時は世話という世話も不要だったけど、突然起きる体調不良で病院へ運ぶといったことも度々ありました。

数年前から歩くのも大変になって来た父と、物忘れが多くなって来た母。再婚するにあたり、家をどこにするかは本当に迷ったものの、ぽちが実家のそばから通うのは無理があり、私も片道2時間近い通勤はそろそろきつい年代になっていました。悩んだ末、ぽちが当時住んでいた地域なら私の通勤も楽になるという理由で地元を離れました。今思うと、コロナ禍だったのでそんなに通勤を気にしなくてもよかったのだけど、当時はいずれ毎日通勤する日が来ると思っていたので通うことは優先事項でした。

それと同時に、このまま実家の近くに住み続けることで、両親と共依存し続ける自分に不安がありました。万一両親がこの世を去ることになった時、実家の近くに住んでいたら自分はまともでいられるだろうか、という漠然とした不安がありました。

そして、どんどん出来ないことが増えていく親の側に独身のまま居続けることで、姉たちは「介護はたまの仕事」と思い込んでいる感じもありました。ろくに顔を出さない、ろくに連絡もしてこない、お祝い事のときだけお金を出させる、親が具合が悪くなれば私がちゃんと見てないからだと言う。フルタイム勤務で毎日片道2時間かけて通勤している私に、パートで週3日家から徒歩10分の勤め先に短時間働く姉が文句を言う。そんな状況に嫌気もさしていました。

気になるなら自分でやってあげればいい、と何度も言ったけど

自分は遠くに住んでるから
嫁に行ってるから
子育てがあるから

となんやかんやと言い訳をして口しか出さなかった姉。私が嫁に行き、遠くに住めば対等にやらざるを得なくなるというところもありました。

引っ越し先を決めた時、このままだと自分の心が壊れそうなので、私はすこし親と距離を取りたい、と告げました。姉はわかったとだけ言い、その後の介護の手配をしてくれました。結果、父は私が引っ越して一年で入院、施設への入居、再入院と経て、亡くなりました。

心残りはあるか?
亡くなった日から自分に何度も問うています。

あの時、自分の将来に不安を感じて親元を離れると決めたけど、一緒にずっといてあげたらもっと長生きしたんじゃなかろうかと考えました。でも無理だったかな、と思っています。

親はいつか先に逝く
自分にはその先の時間がある

遅く結婚した夫との時間は
両親が紡いだ60年のように
長くあるわけではない。

親が大事でなくなった訳ではないけど
優先順位が変わってしまった

親のための人生ではなく
自分の人生を生きようと思っただけ

お父さん
自分を優先してごめんね
最後まで側にいれなくてごめんね

でも、私を大事にしてくれて
ありがとう

いつも私の決断を尊重してくれた
父ならば、私が自分の決めた道を
歩くことを今も尊重しているはず

最高の父でいてくれて
ありがとう

お疲れ様
ゆっくり休んで

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