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延期を決めた

既に台湾へ出発すると決めていた予定時期から一年が経過してしまいました。来年出発だ!と意気込んでいたものの、残念ながら正式に延期することにしました。なぜ延期なのか、、と言う話を今日は書いておこうと思います。

ぽちの就職

今年に入って就活をし始めていたぽちが、3月に前の年収とさほど変わらない条件の企業に転職した。やっぱりぽちは50代なのに優秀だから、すごいなー(完全に身内のひいき目)なんて感心していたんだけど、まさかの3ヶ月で離職。

ぽちが決めて来た会社は(働く方からの)ネットの評判も微妙で、なんか嫌な予感はしてたんだけど、働き始めて2週間で「ブラック企業の匂いがする」と言い出した。

1ヶ月後には「1年契約だから、来年の春辞める」と言い、、、まぁそれもいい。だって契約で入ったから、そもそも延長出来るか分かんないしなんて思ってました。

3ヶ月ほど経ったある日、こう言いました。

辞めてきた。

予想はしてたものの事後報告なのはびっくりした。でも勤務最終日は発熱し体が拒絶反応を起こすくらいの状態だったので、辞めるのは賛成だった。

私は年内で離職しようと決めていたので、いよいよ台湾に出発か。。と考えていたけど、どうやらぽちは就職活動をしている。あれよあれよ、と言う間に内定が出た。条件はものすごい悪くはないけど、以前に比べると下がった。でも、どうやら下げて就職活動してたらしい。

年収が下がることにぽちは落胆はないのかな、人間の価値なんて年収だけで測れないけど、就活で自分を低くして売ることに抵抗はないのかな、と聞けない心配をいくつもしたけど、ぽちはあっさりとその会社に決めた。

そして、今度はこんなこと言った。

3年は働くと思う

前の会社、1年働くって言ったけど3ヶ月でしたけど?????

でもまぁ、働けるうちに働いて少しでも年金を増やすと意気込んでいるので、見守ることに。

両親の健康問題

昨年末に施設に入居し、穏やかに生活していた両親に早くも変化が訪れた。

父は施設に入ってからと言うもの、もう無理して動かなくて良くなってしまったこともあってか、今まで出来ていたことがどんどん出来なくなっていた。入居前に入院し、歩けなくなっていたことも大きいと思う。字を書くこともだけど、食事の介助、トイレ、、ついに全部介助が必要になったとのこと。1年前までは杖をつきながらだけど、近所の病院や床屋に自分で行ってたことを考えると、あまりにも早い。高齢になってからの衰えはきっかけがあると早いんだなと痛感。

母はマイペースに過ごしていると聞いていたけど、父がどんどん衰えていくのを見て不安定になってしまい、自分で出来ないのに父を介助しようとした挙句、施設の方の父への介助を勝手に断った上、部屋に鍵をかけて籠城。なんともパワフルで行動的な母、そして母らしいと言えば母らしい。思わず聞いた瞬間笑ってしまい、背後に困った顔をして苦笑いする父の姿まで浮かんでしまった。

結果、車椅子に勝手に乗せようとして父がベットから落ちて転倒。せっかく隣同士の部屋が空いていて、食事も一緒に取れるから安心だと入居させた施設は、父だけ別のフロアに移ることになった。入っている施設はフロアが違うと移動はさせないし、食事も別々。このまま一生別なんだろうかと思うと切ないけど、父がそのために食事も取れないのでは大変なので致し方なく同意した。

数日後、父が意識不明となったので病院に緊急搬送する。延命治療が必要な場合、高度な医療を必要とするか否かと電話で確認された。昨日は施設の人の介助で夕飯を完食したと聞いていたのになぜ?突然すぎる通知に唖然。

搬送先の病院で原因が判明。誤嚥性肺炎による敗血症性ショックで意識を失ったとのこと。尿路感染もあり、大量の膿みが尿と一緒に出てきた。2週間ほど前から血尿があると言われ、通院して薬も飲んでいたはずなんだけど。

夏になって父が食事を取る量が減ってきたとか、血尿がと言われた際に姉から「88だし、老衰の前兆かもしれない」と言われた。いや、老衰で先が短い人が自分の意思で前月に白内障の手術受けるって意思表示しますか?と言ってたんだけど、やっぱり原因は別にあった。

しかも痰の吸引をしてもらっていたところ、入院4日目にして痰に混じったプラスチックのような、発泡スチロールのようなものが出てきたと報告があった。病院で食事を摂ってないのでここではありえないと言われ、施設で摂取した何かに入っていたのではないかとのこと。こぼした食べ物を拾って食べたつもりが、目の悪い父が米粒とゴミを間違えたとかありそうな気もするし、施設の出した食べ物での混入を疑いたくはないものの、病院から施設には報告してもらい注意を促してくれるとのこと。今後話し合いもしなとならないだろうし、こんなバタバタな中で日本を離れるのはちょっと難しい。

では、いつまで延期?

ぽちが本当に3年働くかは今後勤めた会社次第ではあるものの、一旦は「3年後に延期」と決めた。

3年後、ぽち56歳、たま55歳で学生に戻る計画に再設定することになる。

私は転職をするつもりがない。今の業界が好き。転職して同業に移っても、私の業界は元々給与ベースが安い上、うちの会社はその中でも「比較的高い」と言われる会社。移れば安い賃金になることが目に見えている。50を過ぎた転職が大変なのは、ぽちを見ていてよく分かっているし。。。
でも今の会社でやっているのは本業とは関係のないIT系の管理職。わたし、文系な上に数字が苦手なので全く向いてないと思ってたのに、なぜかここでの実績が認められて管理職になった。そのためきっとこのまま定年まで今の部署にいるはず。。。それは本意でない、うーん。やっぱり予定通り退職だろうか?

辞めたらしばらくのんびりしたい。
昔から好きだった写真を撮りたい。
動画の編集を覚えて、YouTubeにあげてみたい。
文章を書くのも好きなので、細々とでいいから
モノを書いていきたい。
手仕事も好きなので、仕事に追われて
止めていたリメイクを再開したい。

ああ、夢が広がる。。。(妄想拡大)

それまでの過ごし方

  1. まずは中国語のスキルがこれ以上落ちないように、再度勉強を始めよう。

    個人レッスンに10年通って「海外に住んだことがないのに、よくそこまで話せるようになったね!」と台湾人に褒めてもらえるくらいまで頑張ったのに、辞めて既に7年。先日の台湾旅行ではヒアリングが衰えていて惨敗。まずはお金をかけずに再開しよう、YouTubeとか。

  2. 新たなスキルを身につけよう

    出発が3年後で2年いるつもりなので、帰国するのは5年後。その時には57歳。
    ぽちと相談して65歳までは働こうと決めている。それまでに使えるようなスキルを何か身につけよう。出来れば台湾に行って日本の文化を聞かれた時に答えられるようなものがいいけど、それを仕事にするのも厳しいかな。でも着付けは出来るようになりたい、せめて浴衣でも。

  3. 身の回りをシンプルにしよう。

    荷物を置いて旅立つことになるから、持てるものは台湾に、難しいものは処分するか保管になる。既に使わないけど、まだ使えるからと保管してある鞄、帽子、洋服、靴など捨てずに迷っていたものはこの3年の間に処分しよう。


さて、その3年の間、わたしは今の会社どうしようかな。

辞める気満々だったんだけど、台湾行くのが3年後となると今辞めたら転職活動か。それはちょっと。。。。

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