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作文法3:助詞「は」とムード

 私がこれまで学んできた作文技術をnoteに書いていこうと思います。作文法1ではパラグラフ・ライティングについて記述しました。今回は助詞「は」の役割とムードについて深掘りしていこうと思います。

1 「私は」と「私が」は同じ?

 国語教育において主語は「〇〇が」にあたる文節を<主語>というと習います。これに加えて、「〇〇は」・「〇〇も」・「〇〇こそ」・「〇〇さえ」も主語になると習います。以下のWebサイトもこのように主語を定義しています。

 助詞の「は」に注目してみます。結論から先に書きますが、助詞「は」は単純に主語の役割のみを持つわけではなく、もっと複雑な役割を担っています。以下の例文を見てください:

①象は鼻が長い
②玉ねぎは薄切りにして炒める。ジャガイモは15分茹でる。

①はまるで主語が二つあるかのようです。これは有名な例文であり、この例文がどのような構造になっているかは専門家でも長年の議論となっていた——今もなお議論になっている——ようです。②は料理本でよく使われる表現であり、間違った日本語であるはずがないのですが、よく考えると奇妙です:玉ねぎが主語であるならば、玉ねぎが炒める動作をするということになります。

 上記からわかるように、国語教育における助詞「は」の説明——まるで「が」と同格であるかのような——は全く不完全なのです。月並みな国語教育批判をするつもりはありませんが、国語教育には「は」の論理的説明が足りていません。この記事を読み返していただければわかる通り、「は」は「が」より多くの文中に存在しています。こうした大きな存在感を持つ「は」の用法を正しく理解せずに、正確な作文をすることは不可能だと私は考えます。

 しかし、助詞「は」の用法について詳しく説明しようと思えば、本が一冊書けてしまうほど難解です:日本語学者・三上章は「象は鼻が長い」という、主語と「は」を論じた書籍を出版しています。本記事では三上先生の主張を、専門用語を控えながらなるべく噛み砕いて説明します。

2 日本語におけるムード

 最初に、日本語には欠かせないムードの表現について説明します。日本語は、客観的な事実を述べる<コト>と、話者の気持ちを表す<ムード>の2層構造によって表現されます。例文を以下に示します:

③<コト>のみの文:
太郎が料理をする。

④<ムード>が含まれる文:
きっと太郎が料理をするだろう。
太郎が料理をすると思う。
太郎が料理をするなんて信じられない。

③は事実のみが記載された文で、主題の無い文であるため<無題文>と呼ばれます。話者の伝えたい情報が無題文にはないため、無題文がそのまま文として使われることはあまりありません。ここに話者の気持ちを表現するムードを付け加えることで、私たちがよく使う自然な文④になります。前回の記事で示した例文:「花子が殺害現場にいた事実を弁護士の太郎に私が伝えた。」も無題文です。

 少し脱線しますが、英語ではムードは法助動詞「may」や「must」によって表現されます。先の例では「Taro may cook.」といった具合です。

3 「は」を用いたムードの表現

 いよいよ本記事の本題である、「は」の作用について説明していきます。結論からいうと、「は」はムードを表現できる助詞であり、文の主題を決定する作用があります。

 「私が太郎にプレゼントをあげた。」という例文でこれを検証しましょう。この例文は先ほども説明した通り無題文です。この例文の場合、以下のように「は」を用いて表現することができます:

⑤私が太郎にプレゼントをあげた。

⑥私は太郎にプレゼントをあげた。
⑦太郎には私がプレゼントをあげた。
⑧プレゼントは私が太郎にあげた。

文中のどの助詞も、「は(には)」によって置き換えて表現できることがわかります。「は(には)」は「が・の・に・を」を置換して、その修飾語を文の主題にひきたてる効果があります。

 ⑥は「私は」が文の主題となります。「太郎にプレゼントをあげた。」の部分は解説といい、主題に関する説明が陳述されます。日本語はこのような「主題—解説」構造が基本となっています。つまり例文⑥は「これから私についての話をするが、太郎にプレゼントをあげたよ。」というムードを持っているのです。どういうことか。次の例題を見るとよくわかります:

◼︎有題文
⑥’ あなたはどうしたのか?
 → ⑥私は太郎にプレゼントをあげた。
⑦’ 太郎に何があったのか?
 → ⑦太郎には私がプレゼントをあげた。
⑧’ プレゼントはどうしたのか?
 → ⑧プレゼントは私が太郎にあげた。
◼︎無題文
(⑤’ 何かニュースはないか?
 →⑤私が太郎にプレゼントをあげた。)

⑥’ではあなたについて聞かれているので、私を主題として話しています。⑦’、⑧’も同様で、聞かれたことを主題として話しています。このように日本語では、話者が何を主題としているかを、常に「は」でコントロールすることが可能なのです。逆に、⑤’のようにニュースの提示のみを求められた場合は、答える方は主題を設定する必要がないので、無題文(「は」のない文)で答える方が自然になります。

 英語においては主語が主題と一致するのが普通なので、⑥⑦⑧すべて「I gave Taro a gift.」になります。「A gift, I gave Taro (it).」などとすれば目的語を主題化できますが、あまり積極的には行われません。

4 「は」を用いた作文技法

 私たちは日本語のネイティブなので、こうした「は」の文法上の解釈を知らずに作文することができます。一方で、文法に気を配ると、よりよい作文が可能になります。以下の例文を検証します:

太郎は私が警察官であることを知った。太郎は逃げ出した。

この二つの文を重文として連結する場合、主題である「太郎は」をひとつ省略することができます:

私が警察官であることを知り、太郎は逃げ出した。
または
太郎は、私が警察官であることを知り、逃げ出した。

このように、主題を一度書くことで、重文や後に続く文の主題を省略することが可能になります。有名な例題に「吾輩は猫である」の冒頭の文:

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか頓と検討がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。

夏目漱石:「吾輩は猫である」

があります。「吾輩は」という主題が後の文を貫いていることがわかります。このように、主題をよく考えることで、冗長な主語の繰り返しが避けられるなど、スマートな作文が可能になる場合があります。

 一方で、主題が広範囲に及んでしまうことの副作用も考慮しなくてはなりません。以下の例をご覧ください:

×⑨先生たちは教室のドアを勢いよく開き、入ってくるなり生徒たちを取り囲むと、抜き打ちの手荷物検査が始まった。
⚪︎ ⑩先生たちは教室のドアを勢いよく開き、入ってくるなり生徒たちを取り囲むと、抜き打ちの手荷物検査を始めた。

この例文の主題は「先生たちは」です。⑨では最後の述語が「手荷物検査が始まった」となっており、「先生たちは」という主題と対応せず文がねじれてしまっています。文や文章が長くなると、ムードの遡及に気づかずにこうした失敗をしてしまうことがあります。⑩が正確な文章であり、主題と「手荷物検査を始めた」が対応しており、スムーズに読むことが可能になります。

おわりに

 ムードと助詞「は」の作用について解説しました。

 冒頭の例題を振り返ってみましょう。「①象は鼻が長い」というのは「これから象にを題として話すが、鼻が長いよね」といったムードを持っているのです。仮に「①’象の鼻は長い」という文であれば、「これから象の鼻を題として話すが、長いよね」といったムードになるのです。ややこしいですが、このことに大きな違いがあると意識すると作文がより良いものになります。

 「①象は鼻が長い」はまるで主語が二つあるような文例です。英文法等の西洋の言語と比較すると奇妙に感じるため、ひと昔前の日本語学者もたいへん解釈に悩まれたようです。結果、三上章という学者は<主語廃止論>を提唱することになりました。日本語には英語の主語に相当するものが存在しないという主張です。作文法についての記事はこれで終わりとして、次回は主語廃止論について記述しようと思います。

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