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ハンドボール編

私は中学1年〜大学2年まで部活でハンドボールをやっていたのですが、本当にたくさんのことを経験させてもらいました。

中学ハンドボール

練習辛い。先生怖い。簡単に言うとこんな感じですが、本当に良い経験がたくさんできて思い出深いです。

先輩の代から強かったのですが、私達の代は「最弱」と言われていました。人数も同学年だけで20人近くいて仲間割れも何回か。

何回も走り、何回も怒鳴られ…どこから変わったのか正直わかりませんが、最終的には新人戦で県大会優勝、春の全国大会ベスト8、学総優勝、関東大会出場という成績を収めることが出来ました。

ここで学んだのは努力することの大切さ。
私は「最弱」と言われてたチームの中で「最弱」でした。
Aチームで試合に出たと思ったらミスをしBチームになり…これを何回も繰り返してました。

でもBチームになった度に、絶対またAチーム行く、絶対活躍してみせる、見返してやるって常に思いながらやっていました。継続は力なりを信じ、家では毎日筋トレをしていました。

「最弱」だった私は最終的に埼玉県選抜になることが出来たのです。(全く何も出来ず終わる)

引退の時にもらった色紙に書いてあった恩師からの言葉
努力をすれば夢は実現する
何事にも努力をし続けようと思うようになったきっかけです。

辛かった思い出も今では全て笑い話。辛い練習を乗り越えた仲間は一生もの。中学ハンドボールでの成績は一生の自慢。

高校ハンドボール

ハンドボール楽しい。心からそう思うことが出来た期間。

顧問の先生優しい。怒られない。その環境でやるハンドボールもまた楽しい!
のびのびとプレーができ、中学の時にはできなかったプレーが出来ちゃったりもした。ハンドボールというスポーツそのものを楽しめた感じでした。

その一方で、練習に気合が入らない、やる気がでないこともしばしば。私は怒られないとできない人間になってしまったのか…と思ったこともありました。

中学からの経験者は私1人。なかなか難しい。
違う高校に行った経験者の子は活躍してる、私は何もできない、経験者だからって目立って活躍できるわけでもない…とギャップのようなものを感じたりもしました。

それでも周りのメンバーや先生に恵まれ、試合に勝てなくても楽しい!!と思うことが出来ました。

高校でも選抜の選考会のチャンスが。埼玉県選抜に入ったら、シンガポールに行って海外の選手と試合ができるというものでした。
私は単純に、海外の選手とプレーするなんて、日本代表とかにならないとできないじゃん!やってみたーいと思い挑戦することに決めました。

シンガポール行き決定🇸🇬

海外の選手はとにかく大きい。自分からぶつかりにいったにも関わらず飛ばされました。
目立ったことは出来なかったけれど、ここでもとても貴重な経験をさせてもらいました。

引退の試合、悔いなく終わるはずが後半開始10分くらい…まさかの負傷交代。
高校ハンドボール終了しました。笑

大学ハンドボール

適度に運動♪

人数も5人くらい。週に数回。適度にハンドボールができて、合同チームで大会にも出れて、やっぱりハンドボール楽しい!という感じでした。

ですが、高校の最後に怪我をして手術をした膝が常に痛かったです。笑

それでも途中で辞めようなんて全く思っていませんでしたが、大学でトレーナーの勉強を始め色々活動していく中で、フットワークを軽くしたい、将来に向けての活動を進めたいと思い、辞める選択をしました。

後悔もしてませんし、間違った選択だったとは思っていません。

私は、ハンドボールに出会って自分の性格、考え方、将来など色々なものが変わったと思っています。
もし中学でハンドボールを始めていなかったらと思うととても恐ろしいです。そのくらい私の人生において大きな大切な思い出です。

まとまっていませんが、ハンドボール編はこのくらいにして、次はトレーナー編

目指すようになったきっかけから今までの活動など、書いていきたいと思います。