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セツ子の日記 7月10日

「散った」

#文披31題

 「まださいてるでぇーっ、お父ちゃん。はよきてみてーや、はよぅ、はよぅ。アジサイさん、おはようさん」
 梅雨も終わってしまってから咲いた近所の紫陽花をセツ子は毎朝見に行っている。近所といっても小学一年の女の子を一人で行かすわけにもいかないから父が母に言われて付いてきている。最もこの父は表向きは素知らぬ顔を装っているが、娘の事は人一倍心配している。だから母に言われなくても、しゃーないなぁーとでも言いながらセツ子の後を付いて行くはずだ。母に言われて、しゃーないなぁーと言って付いて来る口実が出来てほくそ笑んでいる。
 家の前の庭に沢山の鉢を置いて色いろな花を咲かせている家とその隣の家との間にその紫陽花は咲いているのだが、おそらくこちらの家の主がついでに水をやってくれているのだろう、紫陽花の下も濡れている。
 今日は朝から暑いなぁとセツ子と歩きながら父は思った。あれ以来、紫陽花の様子見から散歩になってしまい思いがけずにセツ子と話をする時間が持てた。男親は娘と話す機会が少ないのでどうしても疎遠になり話をしなくなる。こういう時間はこの先も持ちたいと思い、もし紫陽花が枯れても何がしら切っ掛けを作って散歩を続けたいと思った。
 先に歩いているセツ子が止まった。どうしたのかと思ったら、紫陽花が枯れてしもうたと寂しい声で言った。涙が溢れだした顔を首に掛けたタオルで拭いてやり、抱きしめて頭を撫でる。来年も咲くから、それまで待っとこなと言って手を繋いで帰る。
 明日からの散歩の理由を考えなくてはと父は慌てて考えを巡らせていた。

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