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0019_厭な事は悪ではない『可能世界の空理空論』

ゲーム本編は以下。無料でプレイできるフリーノベルゲームです。

■シン
自分が厭だと思ったら、それは加害行為をされた、と云う事になりますか?

■リメイ
主観的にはそうかもしれないけれど、少くとも客観的にはそうではないよ。
だから正当性があるとは云えないね。

■シン
主観的に厭な事は、客観的に弾く事はできないんですか?

■リメイ
うん、できないよ。

■シン
でもそれって、辛くないですか?
本当に正しい事なんですか?

■リメイ
辛いは辛いだろうけれどね。
でもそれは主観範疇の話であって、客観的な事実とは無関係なんだ。
それは例えば、鳥のように自力で空を飛べないなんて辛い、と云うような事で、辛いのは確かだろうけれど、だからって飛べるようになる訳ではないんだ。

■リメイ
自分が辛いと思った事は何でも弾ける訳ではないし、
つまり、辛いと云う主観と、犯罪行為とか悪と云うものは無関係と云う事だよ。
悪と云うのは、秩序を崩壊せしめる要素の事なんだ。
辛かろうが辛くなかろうが、悪を認めたら秩序が崩壊すると云うだけの事なんだよ。

■リメイ
偶数集合に奇数を一つでも含めたら、もうそれは偶数集合じゃないよね。
それが偶数集合である為には、偶数でないものが含まれる訳がない、と云うだけの事なんだよ。

■リメイ
だから、何が辛いかは人それぞれで異なるけれど、辛いと思ったから悪だ、なんて事にはならないんだ。
1と云う数を偶数と思うのは自由だけれど、事実として1は偶数じゃない、と云うだけの事だね。

■シン
何が悪か正義かは、文化や国に依って違う、と云うのは正しい事ですか?

■リメイ
うん、具体レベルの話ではね。
それはそのそれぞれが一つの秩序系で、悪と云うのはその秩序を崩壊させる要素だから、当然秩序系に相対的なものなんだ。
三角形内角和が具体的に幾らになるかは、平面幾何と球面幾何でそれぞれ異なると云うような感じで、これも論理的に成立している客観事実だね。

■リメイ
そして、ある秩序で悪であろうと、別の秩序で悪でない場合もあるんだから、異なる秩序系同士を同一に扱うのは適当じゃない、と云う事もある。
この辺は人付き合いで云えば、自分の価値観は相手の価値観と異なるから、互いに強要的である事が正当になるはずがない、と云うような事だね。
それは、平面幾何下での定理を球面幾何下で採用しようとするようなもので、矛盾するのは当然だからなんだ。

■リメイ
ある観点でどうであるかは、別の観点でどうであるかと無関係と云う事だね。
それが、アマネが云っている、秩序系同士の独立性なんだ。

■シン
でも、それならどうして人毎に正義が異なると云う事はないんですか?
各人の主観も多様な秩序系同士で独立なんですよね。

■リメイ
厳密に云うなら、主観に対する正義は、確かに各人で異なるよ。
でもそれは各人の主観に於ける正義であって、社会と云う秩序に於ける正義ではない、と云う意味で、正義は人に依って異ならない、と云う事なんだ。
つまり、ある行動について、自分の中でそれが有りか無しかは、人それぞれで異なるけど、社会の中で有りか無しかは、社会に属す全員に普遍的、と云う事だね。
主義思想は各人多様だけれど、社会正義は万人普遍と云う事だよ。

■シン
ああ、成程……。

■リメイ
偶数は2で割り切れるけど、奇数は2で割り切れない、と云うように、秩序系毎に多様性はある。
でも整数と云うより大きな範疇で成立する事実には反せないので、小数であるような奇数や偶数なんてのは不可能と云う感じかな。
だから、自分の中では殺人は有り、と云う主観でも、それを自身の属す社会と云うより大きな範疇で展開する事はできないんだ。
社会ではそれを社会正義が禁じるからね。

■リメイ
まあ、例えばの話であって厳密な説明ではないのだけれど、差し当たりそんな感じかな。

■シン
自己都合は自己都合として、それが社会的に、他人的に、有りかどうかは別問題なんですね。

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