見出し画像

0031_優しさとは『可能世界の空理空論』


■サトエ
こないだ皆で遊ぼうって時に、ジュンが遅刻してきたんだよね。
理由を訊いたら、ちょっと具合が悪かったんだって。

■キズナ
あら、大丈夫だったのぉ?

■サトエ
少し安静にしてたら大丈夫になったからって、遅ればせながら来たみたいなんだけどね。
でもそこでさー、コウタロウがジュンに失礼な事云ったんだよね。

■キズナ
へぇ、失礼な事?

■サトエ
どうせ夜、お腹出して寝てたんだろーって。
確かによくジュンを子供扱いしてからかったりする事あるけどさ、具合悪い人間にそんな事云わなくても良くない?

■キズナ
あー……。

■サトエ
なんかさ、失礼なジョークとかをコミュニケーションだと思ってるヤツいるじゃん。
云われてる方の気持ちも考えろよって思う。

■キズナ
まあ、それはその通りなんだけどねぇ。
ただ厄介なのは、確かにそう云うコミュニケーションもあるってところなんだよねぇ。

■サトエ
え?
失礼な態度がコミュニケーションなの?

■キズナ
外野からは失礼に見えるだけで、気心知れてる仲だからって事もあるし、失礼な軽口を敢えて叩く事で、こんな失礼な事を云っても壊れない絆があるって実感する場合もあり得るんだよねぇ。

■サトエ
えー、なにそれ。

■キズナ
性別的な傾向って訳でもないけど、クラスの男子とか、お互いにめんどくさいちょっかいを出し合ったりしてないかなぁ?

■サトエ
してる。
バカっぽいしウザい。

■キズナ
でもね、彼らにしてみれば、あれがコミュニケーションなんだよぉ。
仲良いばかりでなく、敢えて喧嘩っぽい事をするのが楽しかったりとか、人それぞれ、関係性それぞれ、コミュニティそれぞれで違うんだよぉ。

■サトエ
あー……それも、主観の多様性なの?

■キズナ
そうだよぉ。
だからねぇ、相手の気持を考えろって云うのはその通りなんだけどぉ、考えた結果、彼と自分の間柄では遠慮しない方が良いなって事もあるし、自分達は小突きあうくらいの関係が丁度良い、みたいな事もあるんだよぉ。

■キズナ
つまりね、そこも引括めて、相手の気持ちなんだぁ。
相手がどう思うかが重要だからこそ、外野とかマナーとかが、それって失礼だよって口出す問題ではないんだぁ。
会食の場で騒ぐのはテーブルマナー的に良くないかもしれないけど、飲み会の席でお行儀良くテーブルマナーを守ろうと云うのも、空気が合わなかったりするんだよぉ。
相手への気遣いの主軸は、その形式作法ではなく、相手の気持ちそのものなんだよぉ。

■サトエ
あー……また私やっちゃってるのか。
ジュンの気持ちを思えばこそ、コウタロウはそうした軽口を叩いたかもしれないんだ?

■キズナ
コウタロウ自身、ジュン自身、にしか判らないけどねぇ。
飽く迄可能性を検討するだけならぁ、敢えていつも通りの軽口を云って見せる事で、特別な事など何も起きていない、ジュンがしおらしく謝ったりするような場面ではない、って強調しているっていう場合もあり得るかなぁ。
余り明確化しちゃうのも野暮だったりもするからぁ、そうした思惑を口に出したりはしないんだけどねぇ。

■サトエ
あー……でも、めんどくさい。

■キズナ
ストレートに感情を表現するのが好きじゃない人達やコミュニティもあるって事だよぉ。
サトエはストレートなのが好きだよねぇ。

■サトエ
そうね……云いたい事ははっきり云えって感じだし。

■キズナ
まあでも……それって、人に依ってはこっちの気持ち考えてよって事もあるんだよねぇ。
余りストレートに云われると困る、とかねぇ。

■サトエ
あー……。

■キズナ
別にサトエを責めようと云う事ではないよぉ、勿論。
飽く迄も、人それぞれなのであって、正に相手自身の主観に基いた判定だけが正しいのであって、優しさとはこういうもの、礼儀とはこういうもの、と云うように、画一的に云える訳ではない、って事なんだぁ。
何故なら、主観は客観と独立だから、なんだよぉ。

■サトエ
成程ー……。

■キズナ
ジュンはコウタロウに対して、傷付いたみたいだったぁ?

■サトエ
いや……具合は勿論良くなさそうだったけど、いつもみたいにじゃれ合ってた感じ、かなあ。

■キズナ
とするとねぇ、例えば私達から見て失礼に思えても、当人達にとってはそういうじゃれ合いかもしれないねぇ。

■サトエ
うーん……。

■キズナ
ジュンが具合悪そうだから気遣おうと云う時、サトエはストレートに心配するだろうし、コウタロウは茶化す形で心配している、なのかもしれないねぇ。
例えば、敢えて茶化してみて、ジュンの反応がいつもと違うかどうかを確認して、その後の対応を決めてるかもしれないねぇ。

■サトエ
お調子者に見えても、意外と考えてるかもしれないのか……。

■キズナ
実際のところは勿論当人にしか判らないけれどねぇ。
お調子者なら良いという訳でもなくて、やっぱり気遣われる側がどう思うかで、気遣いになったかどうかが決まるんだぁ。
だからこそ、とにかく一概に云えるものではないしぃ、気遣ったつもりで失敗しちゃったとか、衝突しちゃったとかも引っ括めて人付き合いだしで、そうやって関係性や距離感が形成されていくんだぁ。

■キズナ
だから正に、当人達だけの問題であって、客観的な正しさの出る幕ではないし、良い悪いの問題ではないんだねぇ。
悪いのは、他者への侵害、悪だけであって、失敗しちゃった怒らせちゃった傷付けちゃったと云うのは悪ではないんだよぉ。

■サトエ
主観と客観は独立、かあ……。

■キズナ
やられている側が本当に厭がってる場合もあるから、何か危なっかしいなと思ったら、見守ってあげておいた方が良い、と云う事もあり得るけどねぇ。
とにかく全て、当人次第なんだぁ。
その意味でも、それは本当に厭だからやめてくれって思った事は、口に出して伝えた方が良いだろうねぇ。
他の人には、傷付いていたんだとは、明確に判らないからねぇ。

■サトエ
云わないと伝わらないもんね。

■キズナ
察しろと云う事もあるけど、限界もあるからねぇ。
それにまあ言葉っていうのも、嘘だったり強がりだったりもし得るし、とにかく断言は難しいんだねぇ。

■サトエ
じゃあ、どうしたら良いのかなあ?

■キズナ
こうしたら良いと云う、画一的な結論は無いよぉ。
云った通り、主観に対して客観の出る幕はないんだぁ。
主観は多様だから、画一的なのは無理なんだぁ。

■サトエ
うーん……人付き合いは理屈じゃないんだね。
何故なら、主観と客観が独立だから、かあ……。

■キズナ
抽象的な一般解としては、その都度相手を見据えてあげて、って感じになるかなぁ。
具体性がなくて、そりゃそうだって事なんだけどねぇ。

■サトエ
相手がどう思うかが全て、かあ。
優しさって難しいね。

■キズナ
そうだねぇ、何しろ理屈が通じないから……。
とにかく、優しさとはこういう態度であるみたいな感じで、具体的な態度を唯一正しいとして扱うのは、多様性に矛盾するから絶対に間違いなんだぁ。
そして、相手への思いやりが優しさの本質だから、それを軸にして、相手基準で考える事が大事、と云う感じだろうねぇ。
優しさや思いやりのマニュアルみたいなものは、無いんだねぇ。

■サトエ
何故なら、主観は多様だから……あいつらはああいう関係性、って事で良いのか……。

■キズナ
少くとも、そういう関係性が間違いだって断言は不可能、だねぇ。
実際にどうかは当人達次第だからねぇ。
これを達成するにはこうせよ、と云う理屈は客観的に云えても、こういう状況で自分はこう思った、こう行動した、と云う主観範疇に対しては、理屈がどうこう口出しできる謂れはないんだぁ。
勿論、悪でない範疇でねぇ。

■サトエ
ホントに、多様性って難しいね……。
主観には、理屈が通じないんだもんね。
そして、優しさとはこう云うものだって、余りキツく糾弾しちゃ駄目なんだね。
私はよく、失礼だとか相手を思いやれって、キツく糾弾しがちなんだよね……。

■キズナ
キツい態度で糾弾するのは、それ自体は優しい態度とは云い難いからねぇ……。
堪忍のなる堪忍は誰もする、成らぬ堪忍するが堪忍、ってねぇ。
優しさを弁えているからこそ怒るのだ、っていうのは、大雑把に云うと矛盾的なんだぁ。
優しさを尊ぶのであればこそ、その態度は優しくないよって事を、優しく教えてあげれば良いのであって、怒ったり責め立てたりするのは優しさを尊ぶと云う態度に矛盾しちゃうんだよぉ。

■キズナ
甘やかすのが優しさなのでもなくて、お説教が必要だとしても優しくお説教すれば良いって事なんだぁ。
勿論、厳しさが大事な場面もあろうし、何度も云うけれど画一的な判断はできないけれどねぇ、厳しさと攻撃性のある怒りや攻めは別だって事は気を付けた方が良いんだぁ。
お説教の正しさは理屈の範疇、接し方は主観の範疇だから、内容とは別に態度を検討する必要があるんだぁ。

■キズナ
例えば、お前それは失礼だぞって強く云い切る態度はぁ、もしかしたらビシッとしていてカッコ良く思えるかもしれないけどぉ、カッコ良さと正しさは無関係だから、その伝え方で適切かどうかを気にすべきなんだぁ。

■サトエ
成程なあ。

■キズナ
甘やかしては駄目で厳しく接するのも大事なのだ、って理屈が仮にその通りだとしても、じゃあ実際に厳しく接して相手に伝わったの? と云うところが本質なんだからぁ、相手がただ傷付いて萎縮しちゃってるだけなら、それは絶対に正しい態度な訳がないんだぁ。
だって優しさの主軸は、相手の気持ちなんだからねぇ。
どんな方法も、結果に繋がってないなら無意味なんだよぉ。

■キズナ
相手への思いやりから、ここは敢えて心を鬼にして、嫌われ役を引き受けよう、なんてのはねぇ……それが本当に効果があるならともかく、ただ独り善がりなだけだったらやっぱり拙いんだよぉ。
勿論、手厳しい方が良いと云う人も居得るから一概には云えないけれど、要するに相手次第なのであって、方法論は目的に相対化されるものだから、この方法が絶対正しいなんて事は云えないんだよぉ。

■サトエ
そっか……相手の為になったなら正解で、なってないなら間違いなんだね。
もし私が仮に正論を述べていたとしても、それをキツい態度で展開しているとしたら、その態度はやっぱり問題があるんだね。

■キズナ
私は、サトエが優しい人で、優しくあろうとしているのがよく判るよぉ。
飽く迄事実としては、人の気持ちや人付き合いなど、主観範疇に対して、客観的に断言できる事はない、ってだけなんだぁ。
感情に対して、理屈の出る幕はないんだねぇ。
そして何事も、鬼の首を取ったように糾弾するのは悪的態度だから間違っている、と云う事なんだぁ。

■サトエ
主観は客観と独立だから、だね。
優しさって、難しいなあ……。

■キズナ
難しいと云うより、理屈の問題じゃないから、優しさとはこう云うものって画一的に扱おうと云うのは間違っている、って事なんだぁ。
何故なら、主観と客観は独立だから、優しさと云う主観を理屈的に扱おうと云うのは、ただ矛盾してるだけなんだよぉ。

■サトエ
優しさもコミュニケーション方も、文化それぞれ、人それぞれなんだね……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?