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0012_哲学の実用性『可能世界の空理空論』

ゲーム本編は以下。無料でプレイできるフリーノベルゲームです。

■シン
哲学は、何かの為にやるものではなく、ただ確かな智への愛だ、ってアマネさんは云いますよね。

■アマネ
うむ、壁から釘にな。

■シン
でも実際、何かの役には立っているんじゃないですか?
幾ら何でも、本当に無駄なものだったらもっと人類レベルで相手されないんじゃないかと思うんですけど。

■アマネ
まあ、そうだなあ。

■シン
哲学者って、どんな感じのポジションなんですか?
何か似たような例とかあります?

■アマネ
そうだなあ、似ているかなと個人的に思うのは……。
例えば、建築デザイナーとか。

■シン
建築デザイナーですか?

■アマネ
それが実際にどんな仕事なのか私は良く知らないが、飽く迄イメージとして、どういう建物を建てるか、と云うところを考えるのがデザイナーであろう。
だが実際に建物を建てるのは大工と云う別の職業だ。

■シン
そうですね。

■アマネ
私は実際に何かを行ったりはしない。
微積を用いて売上動向を調べたり、天候を調べて天気予報をしたりしないし、ものを作ったり誰かの役に立ったりと云う事をまるでしない。
だがそれでも、例えば哲学者の構築した理論だとかを元に、実業家達が事業を展開したりはできる訳だ。
自然法則に従って物事は成立するのだから、理論が先ずあり、後に実践が来るのだな。

■アマネ
哲学者はその理論の方を担当しているのだよ。
その後の実践的な部分は実業家達が担当している。
例えばものを売る巧い方法と云うものを哲学者が構築したとして、商売人がそれを実践して商売するとかな。
実際は商売人達が自分達で工夫をしていく訳だけど、そうした工夫を検討している最中、彼らは正しい方法論を求める哲学者なのだよ。

■シン
ああ、成程……。
そっか、哲学者って別に職業じゃなくて、正しさを求める態度を取る人ですもんね。

■アマネ
うむ、その意味では、誰でもが瞬間的には哲学者足りうるのだよ。

他に似ているものとしては、システム開発とかもそうかな。
上流工程と云って、どんなシステムを開発しようか検討する工程を担当するのが哲学者、それに従って実際にプログラミングなどをしていく下流工程が実業家。

■シン
成程……アイデア的な部分が哲学者の担当で、その実践が実業家なんですね。

■アマネ
まあそうだな。
大抵は、アイデアだけがあったって意味がないし、実業の為にアイデアを練ったりするから、実業家自身が哲学者として事業の方針や技術を考えたりもする訳だけど。
それでも専門的に研究だけに特化したような立場も、それはそれで有意義なのだ。
学者が色色解き明かすので、それを活かして事業をすれば、余りに専門的で抽象的な部分を考えずとも事業はできるしな。

■シン
ふむふむ。

■アマネ
そして時折、本当にその確かな智の解明にしか興味のないようなものが現れる。
所謂哲学者と云うのは、こういう人達の事だな。
勿論人に依るのだが、彼らは実効性等に全く興味がない。
何が云えるのかに興味があるのであって、実際にどうかはどうでも良いのだ。

■シン
何か不思議な感じですね。

■アマネ
こんなジョークを聞いた事があるかな。

■アマネ
学者達が学会の為に泊まったホテルで小火が出た。
科学者は消化器を作ろうとし、技術者はさっさと傍にあったバケツの水を掛けた。
翌朝、数学者にその話をすると、数学者は小火に気付いていたと云う。
何故消化しようとしなかったのかと訊ねると、こう答えた。
「火が燃えていて、傍に水入りのバケツがある、何をすれば良いかはもう明らかじゃないか」

■シン
……はい?

■アマネ
要するに、理論はもう完成していて答が導出できるのだから、満足だと云う事だ。
実際に小火が出ているとか、実際に消さなくてはなんて実際状況には、興味がないのだよ。
だって理論は完成しているのだから。

■シン
……焼け死にませんか?

■アマネ
まあ飽く迄ジョークだから。
でも心情としてはこういうものなのだよ。
これは数学者についてのジョークのようだが、哲学者にも当て嵌まる。
どちらも抽象的な理論を追っているものなので、そこそこ似通っているのでな。

■シン
数学者と哲学者はどう違うんですか?

■アマネ
数学者も哲学者の一部なのだが、それは扨措き、具体的な差異としては、数学者は公理を出発点として、そこから何が云えるのかと下っていくように定理を追い求めていくが、哲学者は一番根本的な公理は何かと、遡って行くように原理を追い求めていくので、方向性の違いと云うのはあるな。
それで云うと、自然法則を一つの数式で表そうとする科学者の方が哲学者に近いとも云える。

■アマネ
まあ科学も数学も哲学の一部なんだから、色んな観点で共通しているのは当然だが、差異としてはそんな感じだな。
まあ何を研究テーマとするか、どんな手法でアプローチするかは人それぞれなので一概に云えるものではないがね。

■シン
へえ……。

■アマネ
だから、哲学者の言葉は基本的に実用性はない。
と云うよりも、哲学者の理論を、どう工夫して実用していくかを考えるところから実業家の仕事は始まるのだ。
だからそっちはそっちに任せるので、こっちはこっちでやっておくよ、と云うような感じだな。
人類はそれぞれ手分けして、全体として進捗していこうとしている訳だな。

■シン
成程……色色絡み合ってできているんですね。

■アマネ
うむ、人間は万能じゃないのでな。
担当分野だけ担当する、他は他に任せた、と云う事だ。
哲学者は根本的な原理を探してみるよ、と云う担当みたいなものだ。
そのモチベーションは、有用性や社会貢献ではなく、確かな智への愛なのだがね。

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