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0022_確証バイアス及び理論の意義『可能世界の空理空論』

ゲーム本編は以下。無料でプレイできるフリーノベルゲームです。

■ジュン
インターネットで調べ物をしていると、色色と胡散臭い情報が出てくるよね。

■アマネ
うむ。
デタラメやただの思いつき、勘違いや又聞きや何やと、色色だな。

■ジュン
中には論文を引用していたり、実験結果のデータも用いて説明しているものもあるけど、そう云うのは信用できるんですか?

■アマネ
いやー、端的に云うと、そうであろうと正しいとは限らないな。
その論文がでっち上げの可能性もあるし、解釈が間違っている場合もある。

■ジュン
そうなると、もう何を信じたら良いかよく解らなくて……結局どうしたら良いの?

■アマネ
うーん、具体的な実践方法は私は余り興味の対象ではないので……もっと根幹の、正しさって何なのか、と云う、理論の方の話をしようか。
そこを理解すれば、状況に応じた具体的な方法は都度算出できる。

■ジュン
はあ、理論……。
でも世間では、考えている間にやれとか、理論より実践とか、百聞は一見にしかずとか云われるでしょ。
理論って、そもそも何なんですか?
意味あるものなの?

■アマネ
うむ、端的に云うと、理論の価値や意味を解ってなく、それより実践だ経験だと思っていると、正しさに至れない。

■ジュン
そうなの?

■アマネ
じゃあ、こんな話はどうかな。
これは飽く迄、例え話なのだけれど。

■アマネ
とある町の一万人の住民を対象に、とある実験をして、その結果を纏めた論文があるのだ。
その内容としては、町内のとある店が販売しているミネラルウォータを毎朝飲むと、健康になる、と云うものだ。

■ジュン
何だかもう胡散臭いね。

■アマネ
だがこれは、一万人を対象に実験して得られた事実なのだよ。

■ジュン
えっ、実験結果が得られてるの?

■アマネ
うむ。
一万人の町民に、毎朝その店のミネラルウォータを購入させて飲ませ続けた。
半年程経つと、全員に対して、優位に整腸作用が確認できたんだ。

■ジュン
へえ……。

■アマネ
そこで結論として、そのお店のミネラルウォータは整腸作用がある、と云う事が論文に纏められたのだ。
さて、この論文、信用できるだろうか?
実験結果は確かに得られているのだが。

■ジュン
実験結果が得られているなら……信用できるんじゃないの?

■アマネ
そう思うかね。
しかし、実はそれは間違いなのだ。

■ジュン
まあそう来るのかなとは思ったけど……でも、実験結果は得られたんだよね?

■アマネ
うむ、実験結果は得られた。
もっと云うと、実験結果しか得ていない。

■ジュン
実験結果しか……?

■アマネ
つまり、原因や理論は、その実験からはまだ得られていない、と云う事だ。

■ジュン
原因や理論は得ていない……?

■アマネ
先に種を明かそう。
実は、確かにその店のミネラルウォータを毎朝飲みに行くと整腸効果が現れているのだが、より詳細な研究をした結果、ただ単に、その店に向かう為に毎朝ある程度の距離を歩いていると云う、その運動習慣に依って整腸効果が現れていただけだったのだよ。

■ジュン
あ、あー……?

■アマネ
まあこれは飽く迄例え話として私が今でっちあげたもので、そんな実験も論文もありはしないのだがね。
この例え話で理解してほしいのは、ある実験をしてある結果が優位に得られたとしても、それは「そういう実験をしたらそういう結果になった」までしか得ておらず、「こういう事実が成立しているのだ」と云う理論は得ていないのだよ。

■ジュン
え、えーと……。

■アマネ
こんな例えはどうかな。
天気が悪く、空で雷が鳴っているとしよう。
雷はいつも、まず稲光があって、その後に雷鳴が轟く。
この事実から、「稲光が雷鳴の原因なのだ」と帰結できるだろうか?

■ジュン
同じ事をやっていつもそうなるなら、そう云えそうだけど……。

■アマネ
云えないのだよ。
結論としては、空気中の放電現象が稲光と雷鳴両方の原因なのであって、光は音よりも速いから先に光が確認され、遅れて音が確認されるだけなのだ。

■ジュン
確かに……。

■アマネ
と云う訳で、ある経験をしたからって、ある理論を得た事にはならないのだよ。
にも拘わらず、ある実験をしたらこうなったから、こういう事が云えるはずだ、としてしまうのが誤謬なのだ。

■アマネ
名前をつけて呼ぶなら、確証バイアス、帰納法誤謬、と云うようなところかな。
哲学的態度としては、経験主義と云うようなものもある。
興味があったら、これをキーワードとして、自分でまた調べてごらん。
出てくる情報には注意しながらね。

■ジュン
何か……正しさって難しいね。

■アマネ
そう、正しさは難しい。
だから、これってこうじゃねと云う思い付き程度で太刀打ちできるものではないのだ。
だから色色な実験をして行く必要があるのであって、一つの実験、一つの論文だけで何かが判る訳はないのだよ。

■ジュン
うーん……。

■アマネ
では、どういう観点で実験をしたら良いのか、と云うと、正しさの確認の他に、間違っている可能性の検討もする必要がある、と云う事なのだ。

■ジュン
間違っている可能性?

■アマネ
これをやったらこうなると云う、ある理論を思いついたとしよう。
それが確かであると確認する為には、実際にそれをやってみてそうなる事を確認する、と云うのが先ず一つだ。

■ジュン
そうね。

■アマネ
そして他にやるべき事がある。
それは、それをやらなかったらそうならないと云う事や、そうならないとしたらそれをやらなかったのだと云う事、それらも確認せねば、これこそが結果に対する原因なのだとは云えないのだ。

■ジュン
えーと……具体的には?

■アマネ
じゃあ、クイズをしてみよう。
ここに四枚のカードがある。
1、2、A、Bと、それぞれ書かれたカードだ。

■ジュン
はい。

■アマネ
このカードはどれも、裏面にも何かが書いてあるのだが、今はまだ何が書いてあるかは解らない。
さてここで、「偶数の裏には母音が書かれている」と云う理論を見出したとしよう。
ではこの理論が正しい事を確認する為に実験をしたいのだが、どんな実験が必要だろうか?
まあ要するに、どのカードを捲る必要があるか、と云う事なのだが。

■ジュン
全部、捲る?

■アマネ
それも勿論有効な方法だな。
だがここでは飽く迄論理思考を訓練するクイズと云う事で、ニ枚しか捲ってはいけないとしようか。
さて、どのニ枚を捲ったら、「偶数の裏には母音が書かれている」事が証明できる?

■アマネ
1、2、A、Bの四枚のカードがあり、それぞれの裏には何かが書かれている。
「偶数の裏には母音が書かれている」事を証明するには、どのニ枚を捲る必要があるか?

■ジュン
えーと……2とAかな。

■アマネ
ふむ、2とAかね。
では、何故そのニ枚を選んだ?

■ジュン
えっと、偶数の裏に母音がある事を確認しないといけないので、偶数である2のカードの裏は確認する必要があるよね。
そして、母音のカードはAのカードなので、これの裏が偶数である事を確認する必要があると考えました。

■アマネ
うむうむ、そう考えてしまうだろう。
だが実は、それは間違いなのだよ。

■ジュン
えっ、なんで?

■アマネ
Aのカードの裏に偶数が書かれていたとしようか。
すると、何が判る?

■ジュン
偶数の裏には母音が書かれている、じゃないですか?

■アマネ
いいや、その実験から判るのは、「Aの裏側は偶数だ」と云うだけであって、「偶数の裏側は母音だ」とは判らないのだよ。

■ジュン
え、なんで?

■アマネ
別の考え方をしてみようか。
もしAの裏側に奇数が書かれていたら、「偶数の裏側は母音だ」と云う理論は成立しなくなるかな?

■ジュン
なる、と思うけど……。

■アマネ
いや、ならないのだよ。
「奇数の裏側もまた母音なのだが、それは扨措き、偶数の裏側は母音だ」と云う事態が可能だからだ。

■ジュン
え、えーと?

■アマネ
例えば、「ラーメンは美味しい」と云う主張があるとしよう。
そこに、「カレーライスだって美味しいぞ」と云う主張を持ち出してきた時、「じゃあラーメンは美味しくないのだ」と云う事が云えるだろうか?

■ジュン
いや……カレーも美味しいけど、ラーメンも美味しい、よね。

■アマネ
つまり、奇数の裏側に母音があろうが、「偶数の裏側は母音だ」と云う主張に、何の関係も無いのだよ。

■ジュン
は、はあ……。

■アマネ
つまり、「偶数の裏側は母音だ」と云う主張を検討しようと云うなら、奇数のカードの裏側は確認する必要がないし、母音のカードの裏側を確認する必要はないのだ。
では何を確認すべきだったかと云うと、それは「Bのカード」なのだよ。

■ジュン
ふーん……?
でも、どうしてBのカードの裏側を確認する必要があるの?
Bは、偶数でも母音でもないから、今回の話と関係無さそうだけど。

■アマネ
ではこう考えてみよう。
Bの裏が、もし偶数だったら、「偶数の裏側は母音だ」と云う主張はどうなってしまう?

■ジュン
……あ。
成立しない……のか。

■アマネ
そう。
Bの裏が偶数だったとしたら、そのカードはつまり、偶数の裏側に子音が書いてあるカードだという事だ。
それでは、「偶数の裏側は母音」に反するだろう。
だから、子音であるBの裏が偶数ではない事を確認しなければ、「偶数の裏側は母音」とは断言できないのだよ。

■ジュン
は、はあー……。

■アマネ
論理学の用語で云えば、対偶論法と云うものだ。
「AならばB」と云う主張は、同時に、「BでないならAでない」と云う事でもあるのだよ。
だから、「偶数の裏側は母音」と云う主張は同時に、「子音(母音でない)の裏側は奇数(偶数でない)」と云う主張でもあるのだよ。
依って、「子音の裏側が奇数」かどうかを確認しなければならないのだ。
そっちも成立していないと、主張が成立しているとは云えないのだからな。

■ジュン
成程……。

■アマネ
しかし、ここでやってしまいがちなのが、「Aの裏側を確認する」と云う態度なのだ。
「2の裏側は母音だ」「Aの裏側は偶数だ」と云う事から、「偶数の裏側は常に母音なのだ」と、云いたくなってしまうのだよ。

■ジュン
そうだね……これだけ証拠が揃っていれば、ほらそうでしょって云いたくなると云うか。

■アマネ
だが、肯定的証拠を幾ら羅列しても、それだけでは、そうでない可能性の検討がされていないので、「Bの裏が偶数だ」と云う事実に気付けないのだ。
そしてもし「Bの裏が偶数だ」と、反例が一つでも確認できたなら、「偶数の裏は母音だ」と云う主張は間違いなのだよ。
にも拘わらず、「Bの裏側」を確認していないのでは、その主張には問題が在るだろう?

■ジュン
う、うーん……。

■アマネ
そんな訳で、自説を補強する証拠ばかりを求めてしまい、自説を棄却するような証拠には目も向けない、と云うような誤謬を、よくやってしまうのだよ。
その誤謬を、「確証バイアス」と呼んだりするのだ。

■ジュン
はあー……そうなんだね。

■アマネ
折角何かを主張するからには、その主張は勿論正しいものであって欲しい。
だから、わざわざその主張が間違っている可能性を検討するのは莫迦らしいと思えてしまう。
だって間違っているなら主張する必要が無いのだから。

■アマネ
だが、正しさの為にはそここそが重要なのだ。
間違っているなら主張する必要がないからこそ、「間違っていない事の確認」もしなければならないのだよ。
その為には、「間違っているとしたら」と云う検討が必要なのだ。

■ジュン
成程……。

■アマネ
実験に依ってある結果が得られたと云うのは、「2の裏側を確認したら母音だった」事を確認したぞ、と云っているだけに過ぎないのだよ。
それ自体は、勿論間違いではない。

■アマネ
しかしそれだけでは、「Bの裏側が偶数だったら拙いね」と云う処へのフォローが、まだできていない。
だからその実験とは別に、「Bの裏側は奇数だった」と云う実験もせねばならず、その二つに依って漸く、「偶数の裏側は母音なのだ」と断言できる、と云う事なのだよ。

■アマネ
だから、実験結果が出ているぞ、と云う一つだけでは足りないし、「色んな偶数のカードの裏側を捲ったら、どれも母音だったぞ」なんて云う複数の実験は、統計優位性を高める効果は勿論あれど、絶対性には繋がらないのだ。
従って、「何度も実験したのだ」と云うのは、正しさの証明にはならず、「この主張を棄却するような実験もしたけれど、それはどれも巧く行かなかったぞ」と云う実験もせねばならないのだ。

■ジュン
巧く行かなくて良いの?

■アマネ
ここで云う巧く行かないと云うのは、実験に失敗したと云う意味でなく、「「主張を棄却するのは不可能だと云う結果が得られた」と云う実験に成功した」と云う事なのだよ。
つまり、「「子音の裏が偶数だったら、偶数の裏が母音とは云えない」と云うような事実は成立しない」と云う結果を確認する実験をした、と云う事だ。

■ジュン
成程……「子音のカードを裏返して、偶数は出なかったぞ」と云う確認をしている、と云う事だね。

■アマネ
正しさと云うのは、そのように迫るのだよ。
だから、ある主張をしたい時に、「それを肯定する論文や実験があるぞ」なんてだけではその主張の正当性はまだ確認できず、「それを否定する事は無理と云う論文や実験もあるぞ」と云うところも示さねばならないのだ。

■ジュン
ああー……。

■アマネ
つまり、ネットの情報が間違っているというのは、論文や実験が正しいとしても、それだけからある結論を見出そうとしている、そのネット記事の態度が間違いだという事だったりするのだよ。

■ジュン
ああ、そう云う事か……。

■アマネ
だから、論文や実験があるのだ、と云うだけでは、何の証拠にもならない。
そこに気を付けてネット検索をしようと云うのが、例えば情報収集の注意点なのだよ。

■ジュン
つまり、検索をするユーザ側が論理思考ができないと、有意義な情報収集はできないって事?

■アマネ
まあ、乱暴に云うならそうなるかな。
情報は情報でしかなく、その情報をどう駆使するかは人間側の態度なので、そこを鍛えたまえ、と云う事だ。

■ジュン
つまり、頭良くならないと、間違った情報を鵜呑みにしてしまいかねないぞ、と云う事だね……。

■アマネ
まあ、乱暴に云えばそうかな。
なので、論理思考の訓練はやる事をオススメする。
という訳で、以前にも伝えた事だが、具体的な訓練方法としては、読解力を磨くと良いので、学校の科目で云うなら、国語の評論読解に力を入れたまえ。

■ジュン
はあー……。

■アマネ
主張を検討する場合の態度として、
「そうだとしたらどうなるのか」「そうでないとしたらどうなるのか」の両方を確認しろ、と云うような事だな。

■ジュン
はい、判りました。

■アマネ
それはつまり、対偶命題だけでなく、逆命題や裏命題の確認もした方が良いと云う事だ。

■ジュン
んーでも、逆や裏は、元命題とは真偽が一致するとは限らないんだよね?

■アマネ
だからこそ、そちらの方はどうなっているかも確認した方が良かったりもするのだよ。

■ジュン
え、と……。

■アマネ
例えば、「あの子は毎日笑顔で挨拶してくれる」と云う状況から、
「私に対して、笑顔を向ける」と考えたとしよう。

■ジュン
はい。

■アマネ
そして、
「私以外の人には、笑顔を向けない」と云うのが、その命題の裏命題だ。

■ジュン
うん、そうだね。

■アマネ
では、もしこの裏命題が成立せず、「私以外の人にも、笑顔を向ける」事が確認できたとしよう。

■ジュン
ああ、つまり誰に対しても笑顔で接する人だった訳だね。

■アマネ
と云う事は、その人が笑顔を向けるのは、「私が相手だからな訳ではない」と云う事が判る。

■ジュン
ちょっと淋しいね。

■アキ
つまり、「あの子は私に笑顔を向けるから、私を好きなんだろう」と云う想定は、勘違いだって事なんだね。

■ジュン
わっ、ビックリした。

■アキ
何? 対偶論法か何かの話をしているの?

■アマネ
どちらかと云うと、確証バイアスの話だ。

■アキ
あー、成程ね。

■アマネ
と云う訳で、「笑顔を向けるからには私だけを好きなのだ」を証明するには、
なども確認せねばならない、と云うような事なのだよ。

■アキ
その確認もしないでデートに誘うのは、ちょっと早いかもね。
そんなつもりないですってあっさり振られちゃうかも。

■ジュン
うーん……恋愛にも論理が関わってるんだね。

■アキ
恋愛にと云うかまあ、恋愛も事象だからね。
尤も、恋愛とか人付き合いの観点で余りそういう詮索っぽい事やってると嫌われるかもしれないけどねー。

■アマネ
まあ、恋愛の話はまたの機会として。
そんな訳で、色色と確認しなければ、正しいとは云えないと云う事なのだよ。
だから情報収集をする自分自身が、自身の確認したい情報の他に、自身の考えが間違いである事を示す情報も検索しに行く必要がある、と云う事なのだ。

■ジュン
ああ、そうか……。
検索する側も、確証バイアスに陥らないようにしないといけないんだね。

■アマネ
うむ。
そんな訳で、確証バイアスに気をつけたまえ。
ある事実一つ、或いはある主張を肯定する証拠達だけでは、理論を帰結したりはできないのだよ。

■ジュン
そう云えば、理論って結局何なんでしたっけ?

■アマネ
理論と云うのは、ある事実からある結論を得る流れのような事だ。
つまり、結論と云うのは、理論に依って得られるものだ。

■アマネ
どんな実験をしようが、実体験をしようが、理論が無ければ結論は得られない。
にも拘わらず、理論を無視して、結果からある結果をダイレクトに導出しようというのが、確証バイアスだとか帰納法誤謬だとかに繋がる、と云う事なのだよ。
経験則は十分でないと云うのはそうしたところが問題だからなのだ。
結果から理論に移り、その理論から別の結果を導出できる、と云うのが、正しさへの流れなのだ。

■アキ
例えば、科学と云うのがどういう態度を取っているかと云うと、
まず実験に依って理論を構築し、その理論からある結果を予測し、
その結果を実験に依って確認し、そうして理論の正当性を確認し、
やっと事態の解明が確認された、
と云うように、理論と実験を行ったり来たりしながら、じわじわと正しさに迫っていく、って云う感じなんだよね。

■ジュン
ああ……実験一辺倒でもないし、理論一辺倒でもないんだね。

■アマネ
両方があって、漸く判るものなのだ。
勿論一人の人間には限界があるから、自分は実験を担当するとか自分は理論を担当する、と云うように専門化したりはしている。
だがそれは役割分担をしていると云うだけであって、どちらが優等と云う事ではないのだよ。

■アマネ
だから、理論屋は頭でっかちの妄想狂だとか、実験屋は経験則のみの愚か者だ、と云うような事ではないのだ。
理論屋と実験屋の両方が居て、科学なのだ。

■アキ
ちなみに、数学者も実際に計算してみるとか論証してみるとかの実験を行っているし、哲学者も思考実験というものを行ってるよ。
やっぱり理論と実験の両方が必要なんだ、って事に注意だね。

■ジュン
正しさって、本当に大変なんだね……。

■アマネ
そんな訳で、情報収集に即して説明するなら、
得られた情報を鵜呑みにしてはいけないと云うのは、どんな情報も信用するなと云うよりも、その正当性を確認する為のより多くの情報を更に集めろ、と云う意味だと思いたまえ。

■アキ
違うんじゃないかなって恐がれ不安がれって云っているんじゃなくて、正しさの証明に挑め、って事だね。
だから、鵜呑みにしてはいけない、なんだよ。

■ジュン
そう云う事だったんだね。
じゃあ、インターネットで情報を調べる、と云うのは、必ずしも拙い方法ではないのかな。

■アマネ
うむ、何も拙くない。
寧ろ、インターネットと云う便利な情報収集手段があるのだからこそ、大量の情報を集めたまえ、と云う事だ。
インターネットが拙いのではなくちょっと調べて終わりとするのが拙い、と云う事なのだよ。
ちょっと調べて終わりと云うのは、書物だろうが百科事典だろうが専門家への質問だろうが、拙い態度なのだよ。

■ジュン
成程……。

■アキ
例えばネットで調べ物するとね、たくさんの記事がヒットする割に、どの記事も全く同じ事しか云っていない、って云う事があるんだよね。
酷い時には、誤字脱字も含めて文面自体全く同じだったり、そもそも別の記事をただ引用しているだけだったりなんて事もある。
でもそれって、つまり情報量としては一つしか得ていないって事なんだよね。
だから実質、たくさん調べ物をした、にはならないんだ。

■アマネ
それに加えて、先程も云った事だが、同じ結果を示す多くのサンプルを得たぞ、と云うだけでは、何の証拠にもならないのだ。
検討対象の主張を棄却するのは不可能だと云う方向の情報もまた収集したまえ、と云う事なのだ。

■アマネ
「これってこう云う事なんだ」と何かを確信しそうになった時、
「そうじゃない可能性は不可能だ」と云うところの確証も得る必要がある事を思い出したまえ。
そうしてその主張の正しさを検討せよと云うのが、「鵜呑みにするな」と云う言葉の意味なのだよ。

■ジュン
そう云う事だったんだね……。

■アキ
人の言葉に対して一一重箱の隅をつつくような態度を取ると、まあ嫌われちゃったりもするんだけどね。
でもなんで重箱の隅をつつくの、人の意見を否定するような方向の検討をするの、って云うと、それはその人の主張の正当性をちゃんと確認しようと誠実に挑んでいるから、と云う事もあるんだよね。
必ずしも性格が悪いとは限らず、相手の言葉を理解しようとしているだけなのかもしれないんだよ。

■アキ
例えば、どんなに頑張って作った料理も、適当に作った料理も、失敗しちゃった料理も、何でも同じようにしか反応してもらえないとしたら、料理を頑張るのがバカバカしくなっちゃったりもするんだよね。
どうせ何食べても同じ反応なんだから張り合いがない、みたいなね。

■ジュン
ああ、何かフィクションでも見る気がするね。

■アマネ
重箱の隅をつつくような批判検討は、実は誠実さの現れだったりするのだよ。
だから哲学者やデバッガは、重箱の隅をつつくように検討をする。
正しさを保証する為に、間違っている可能性さえも検討するのだ。
間違っていない事の確認の為にな。

■アキ
ま、人間関係でそれをやると、嫌われかねないんだけどね。
それは、そうした態度の正当性と云う客観と、それはそれとしてムカつくっていう主観が独立だからなんだよね。

■アマネ
私が人付き合いが苦手なのはそんなところだな。
たとえ客観的に正しくとも、相手が嫌がれば嫌われても不思議はない。

■アマネ
だから、人付き合いに於いてさえ、相手の意見を一一検討せよとは云わない。
今回の話は飽く迄、情報の収集や検討など客観範疇でのものなので、そうすると、主張の肯定性の確認だけでなく、主張の否定性が棄却される事も確認せよ、と云う事だ。
キーワードとしては、「確証バイアスに気をつけよ」とか、「帰無仮説棄却の確認もせよ」と云うところだ。
背理法や対偶論法と云う構造も、しっかり理解してみたまえ。

■アキ
そしてそうした具体的な方法論は、正しさを目指そうという態度から自然に導出されるものだね。
だからこそ、哲学的態度と云う正しさを目指す態度は、実はとても有意義なんだね。
哲学は全ての学術の根源だと云われるのは、そう云う事なんだよー。

■ジュン
はあー……哲学って、本当に正しさを目指しているんだね。

■アマネ
確かな智への愛、なのだよ。
だから、学術は全て哲学の一環であるし、正しさを得ようとする態度は哲学態度なのだ。

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