作問者の意図

私が問題を自作するようになったのは中学生の頃で、教科書や授業の内容では退屈で試行錯誤していたような覚えがある。その頃は、出題するのも私なら解くのも私だけであったので、意識するものは問題として成り立ち、解けるかどうかぐらいだ。その価値観が変わった出来事がある。

それは私が高校2年生の頃。私は普通科高校へ進学し、2年時に理系を選択した。そして夏頃だっただろうか、化学の担当の先生がこう言った。
「次の実力テストでは、平均点が40点台になるような問題を出します。」
生徒達へ向けた宣戦布告だった。定年まであと数年で、いくつもの普通科高校を巡ったその先生が、その経験で以てハイレベルな問題を出そうと言うのだ。しかも、それを宣言したのは理系希望者の中で成績上位者を集めた特別クラス、通称"特クラ"でのことだった。そんなことを言われては負ける訳にはいかない。
そして、そのテストを終え、採点されたテストが返却された。先生は、クラスでの得点の度数分布表を黒板に書き始めた。10点刻みでその点数域に何人居たかを書き、最後に平均点を述べる。なんと、事前に宣言した通り、平均点は40点台だった。
その出来事は私に衝撃を与えた。平均点を狙って操作するには、生徒達の習熟度や、それぞれの問題でどの程度間違えるかなど、様々な経験が必要だ。正直なところ、得意科目だったためにその先生のことは軽視していたが、その出来事でいかに私が浅はかだったかを実感した。

今では、趣味でクイズやパズルを作るようになったが、解き手の知識量や閃き力などをある程度測って、解き手が楽しめる難易度になるように心掛けている。ただ、いい問題というのは解くよりも作る方が圧倒的に難しい。それでも、教科書レベルの問題を解くのでは満足出来ないけれどお金は掛けたくないというような人には、作問してみることを勧めてみたい。単に教科書にある問題をちょっと変えたぐらいのものではなく、オリジナルのものを、だ。作問したことが直接的に受験で役立つかは分からないが、作問側を経験するということは問題の理解にも繋がる。なぜこの問題を選んだのか、他の問題との関連性はあるのか、どこに引っ掛けを仕込むのか。作問した経験があるからこそ見える視点を、育ててみてはどうだろう。