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会社員生活を振り返る。

がむしゃら新卒時代

短大を卒業して、いわゆる大企業に就職しました。
配属されたのは病院関係の営業セクション。
その部署は、男性だらけ。
おまけに先輩女性社員が朝来るのが遅い。
(まあ、私も8時にはオフィスにいたから、
早いといえば早いんですが)
「わからないことを聞いて」という感じでした。
そう、全然教えてくれない先輩でした。
しかたなく、こっそり他部署の先輩にいろいろ教えて頂くはめに。
しかも、新人に部長クラスの秘書をしろという💦
いろいろな所からクレームは来るは、教えてもらえないわ。
失敗しては怒られて。
毎週日曜日は泣いていましたね。
25人分のお茶の好みを覚えさせられたり、
灰皿を掃除させられたり。
仕事ってこれ???と2年は耐えました。

意外な部内異動

私があまりに庶務的な仕事ができないからでしょう、
上司は私を配置転換して、営業部初のインストラクターにしました。
(響きはたいそうよろしいのですが)
地方の販売代理店にパンフレットを送ったり、
展覧会でデモンストレーションをしたりと、
庶務の仕事よりはやりがいを感じましたし、楽しかった。
地方出張が月1回入り、楽しい日々でした。
この時の上司も同じことを二度聞けない方だったので、
営業の資料を自分で作ったり、マニュアルを作ったりして、
自分なりに頑張っていました。

ハードだったインストラクター業務

が、当時は月80時間の残業。
疲れが全く抜けない状態になってしまいました。
医務室に相談にいっても、「100時間でも倒れない人は多いのよ」
と、取りつく島もありません。
気が付けば、体重もみるみるうちに落ちていき、
仕事に意義も見いだせなくなりました。

私は少し休みが欲しくなりました。
そして、選んだ道は「退職」でした。
学内推薦を使って入社した会社ゆえ、3年は我慢しなさいと、
就職担当の先生から諭されていたので、
「お役御免」の気分で、3年8カ月をもって、肩の荷を下ろして退職しました。

勘違いから始まった転職

結婚しても働ける
そんなキャッチフレーズを歌っていたのが、医療事務の会社。
ちょうど、結婚を意識していたのもあって、
医療事務をまじめに勉強しはじめました。
レセプトコンピュータも勉強しました。
授業をすべて終えて、支店長から「本社でインストラクターを募集してるから、応募してみましょうか。」

そうです、前職が思わぬ高評価を得てしまったのです。

「だめなら、医療事務の講師見習いをすればいいや」
とんとん拍子に話は進み、採用担当と面接。
採用担当の課長と妙に気が合い、役員面接もするりと通ってしまいました。
気が付けば、その会社の本社勤務となってしまったのです。

すみません、私は小規模病院が専門で・・・。
という間もなく、大規模病院の担当部署に配属。
私のスキルは当然少なく・・・。
年末に、思わぬ配属になります。

思わぬ人事異動

「社長室人事課」
え???
なぜか全くわかりません。
聞かされた業務は「社長秘書」。
????
驚いて、頭は真っ白。
でも、するしかありません。
ここでもまた、お茶くみのお役目が回ってきました。
しかし、今度は違いました。
株式公開にかかわる業務の一端も担うということでした。

その当時はまだ社内のルールというものが盤石ではなく、
公開には程遠い状態でした。
社内のルール整備、書類の電子化、などなど。
当時の社長は果敢に株式公開に挑んでいったのです。

株式公開に関することでは、他社のおじさま達に混じって、
説明会や勉強会などに出席することもありました。
その流れで、社長秘書から私は人事のデータ整備を専任で、担当することになりました。
紙ベースだった人事データの電子化を一人で担当。
ゼロから人事データベースを構築しました。
退職金のデータベースも経理部から引き継いで、一人で担当。

その時の上司は、私に全権を任せてくれました。
「責任は俺が取るから、やりたいようにやればいい。
報告だけはきちんとしなさい。」
今でも、その時の上司の言葉は忘れられません。
その上司は、私を採用してくれた方でした。

全社システム化の話が出たのはこの頃でしょうか。
多忙を極めたのはこの頃です。
夜中の3時まで会議。8時30分には出勤。
でも、辛くなかった。
なぜなら、部内の人間関係がとても良かったから。
課長の統率力と、先輩方の度量の深さ、後輩たちの素直さ。
これらが相まって、システム化は何とか進んでいきました。

しかし、私の体はまたしても悲鳴をあげていました。
徹夜明けの残業。これがダメを押しました。
原因不明のめまい。
大病院にいってもわからず。
通院と通勤の掛け持ち。
またしても体を壊してしまいました。
株式公開を見届けて、結婚を機に退職を決めました。

そのあと

結婚を機にしばらくは体を休めることに専念していました。
が、知り合いが全くいない土地への寂しさから逃げるように、
私は派遣社員として、数社勤務しました。
身体をすり減らすことが無いように気を配りながら。
でも、まさかのパワハラで(周囲はみな私の味方でしたが)、
またも体調を崩して退職を余儀なくされました。

そして、今

今はどこに属することもなく、体調に細心の注意をしつつ、
子供の頃からの夢だった占い師になるべく、
徐々に歩み始めました。
よちよち歩きですが、悔いを残さないように、
頑張っていこうと思っています。


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