3.11から13年で思うこと
今日で3.11から13年が経過しました。今年は、能登半島地震も起きました。
歴史は繰り返すと言いますが今日、東日本大震災津波伝承館へ日本青年会議所メンバーと訪問して気付きがあったのでまとめてみました。
東日本大震災とは
事実を知る (数字で見る被害)
死者、行方不明者
22,252名
死者:19,689名
行方不明者:2,563名
死亡者の年齢分布→60歳以上が64%
0~9歳:2.95%
10歳~19歳:2.65%
20歳~29歳:3.26%
30歳~39歳:5.37%
40歳~49歳:7.07%
50際~59歳:11.93%
60歳~69歳;18.66%
70歳~79歳;23.81%
80歳以上. ;21.42%
死因の9割が溺死
避難者
最大避難者数:47万人
津波から8年後の避難者数50,564人
最大避難所数:2,456カ所
住居被害
全壊:121,995棟
半壊:282,939棟
地震の大きさ
最大震度:7
モーメントマグニチュード9.0
1900年以降 世界で4番目の大きさ
世界一は、1960年チリのMW9.5
破壊継続時間:160秒
津波規模
津波高:9.3M
浸水高(痕跡高):24.0M
遡上高:39.4M
浸水面積:561k㎡
推定被害額
東日本大震災:1約3兆8,970億円
阪神・淡路大震災:約9兆6,000億円
関東大震災:約55億639万円
延焼面積
東日本大震災:約671,000㎡
阪神・淡路大震災:約457,000㎡
関東大震災:約34,664,000㎡
災害廃棄物・津波堆積物処理量
約3,014万t
生死を分けたバイアス
事実からわかるのは、60歳以上の被害者が約65%ということに注目したい。
青年会議所の先輩の講話や実態調査の資料をみるとすぐに逃げない人が4割いた。まさか、自分のところまでは来ないだろうというバイアスが年齢を重ねることによって強くなり、家事などをしていて津波が襲ったというケースも少ないくないようです。
あの時何が起きていたのか
津波が町一帯を襲い、かつての生活の痕跡もなく空き地になっておりました。あたり一面が売り地と書かれておりました。2011年3月11日までは、ここに住宅街やお店があって街があったということを忘れてはいけません。
東日本大震災津波伝承館について
教訓を学び行ってわかったこと
東日本大震災から学び避難上の課題
防波堤を超える津波は来る
正しい理解と情報選択
ハザードマップのアップデート
このエリアは、数百年単位で津波が遅い先人が教訓を伝えていた。しかし、津波ハザードマップが思い込みを生じさせて、避難を遅らせた可能せがあるようです。実際に指定された避難所が浸水したケースもあった。浸水範囲、浸水高がハザードマップに記載された予測を上回ったということが分かります。この震災をきっかけに全国のハザードマップが見直されました。
正確な情報を発信する、受け取る努力が必要
東日本大震災で気象庁は、地震発生後の3分後に第一報の津波高推定3Mが大きく下回り、迅速な更新ができなかったようです。
あわせて、防災無線の電波喪失もあったようです。また、SNSの黎明期のこの時期にも誤情報より正しい行動が取れなかったとも言われております。現代でと考えるとSNSを含めて複数の情報から常に新しい情報を掴むこと。情報の取捨選択をするリテラシーの向上が求められています。
その他
被災者の家族が書いた手記は非常に重く、160秒の地震で家族や街が流されたと行くことを改めて感じることができました。
史跡として保存された建物
津波によって建物がここまで破壊されるのかということを忘れないために史跡として残されております。
資料館へ行った際にぜひ寄るべき場所です。
奇跡の一本松
一体には、津波から街を守るために多くの松が植えられておりました。
しかし、あの日津波で流されて奇跡的に一本だけ残った松が”奇跡の一本松”と言われております。
災害への備え
自助
協助
公助
それぞれのできることを考える
”てんでんこ”の教え
「てんでんこと」は東北地方の方言で「それぞれに」「各自で」という意味だそうです。三陸海岸には、「津波の時はてんでんこ」という教えがあり「津波が来たら、周りを気にせず、てんでんばらばらに、それぞれで逃げなさい」とのことです。「必ず生き残れ」、「命を守るために何が何でも逃げろ」という思いが込められているようです。古くは平安時代から数百年周期で起きている地震による津波。地震や津波を防ぐことは我々はできないと思います。しかし、バイアスを排除して正しい知識と情報で生き残れるようになったはずです。過去の教訓が財産になっているはず。
最後に
災害に強い日本を作るために、正しい知識と情報を掴むことで被害の低減ができると改めて感じました。
その中で、青年会議所の役割と災害から早期に復旧するサービスインフラを作るのが私のミッションなので会社の仲間へもこの経験を伝えると共に何が必要とされているかを考えるいいきっかけになりました。