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棄民の島

戦争作品を描き始めて、もうかれこれ5~6年。
芝居や脚本なんか知らない15歳の時に、従軍慰安婦のことを知りました。
多感な時期であったので、心が掻きむしられて、締め付けられたことを覚えています。
その根本が脈打ってたのかも知れません。
人間の死や痛みを描くには、人生を生き抜いて、痛みも喜びも知ってからでないと、何か人間の尊厳に対して、失礼ではないかと感じていました。
50も過ぎて、人生の終着地点の方が近くなった時に
ようやく向き合い、伝え、問い続けることを始めました

今回は地図から消された毒ガスの島、大久野島の物語です。
一人で取材に行きました。粉雪の広島から高速バスで港まで。
忠海から船に乗り、大久野島へ。

海が青かった。風が強かった。兎がたくさん出迎えてくれた。
平和だった。
毒ガス製造で亡くなられた方の慰霊碑の前で
手を合わせると、涙が止まらなくなった。
その痛みや、孤独、哀しみは、想像も出来ない。
それでも、そんな中でもきっと、人は誰かを愛し、理解しようと
していたのでしょう。
日本が勝つと信じていたのでしょう。

毒ガス製造は、国際法で禁止されていました。
第一次世界大戦でドイツが使用し、その残忍さに
人類がNOと言ったのです。
戦争であろうと、化学兵器の使用は辞めようと…
それでも、どの国も化学兵器も原子力も秘密裏に開発研究を
進めました。
はっきり私は言います。
戦争は狂っている。
狂想に支配されてる中で、人間は、残酷さに対する痛みは感じとることが出来なくなります。
だから、開発をしてしまう。勝つために、守るために。
この文を書いている時でも、戦争は世界で行われています。

この作品は、人間賛歌です。
優しさのすれ違いで、お互いを傷つけてしまう。

どの役にも、人生があり
それを背負い生きています。
普通に明日が来ると信じられる現代
それは、偉大なる先人達が苦難を乗り越えた結果なのです
歴史の中に人間はいます
人間が歴史を作ります

きっと、明日も私は問い続けると思います
人としての誇りと尊厳を


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