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まさに『空手バカ一代』のバカである

最近はコンプライアンスがどうのこうのと能書き垂れる小粒なバカばっかりで面白くない。

代わりに、ユトリ教育で育った白痴、魯鈍、盆暗などの真性バカを見る事が多い。

「醜い利口になるよりは 綺麗なバカで生きてやる」……梶原一騎

でっかいバカに会いたいものだ。
バカにも種類があるのぉ~

2014年03月15日[土曜日]|日誌|→

時々「男はバカでなくてはならない。バカになれないと駄目だ!」とか言ったりするものだから俺が手放しでバカを肯定しているバカ礼讃主義者だと思われているきらいがあるわけだが、まったくそうではない。バカにも種類があるんですよ。

俺が言っているバカは、一度思い込んだら諦めず、とことん何かをやり続けられるバカであり、三度のメシよりそのやるべき事に没頭し、惜しげもなく己の命を開いていくバカである。

師の教えをバカ正直に、そして素直に信じ、同じことを繰り返し繰り返しやっても屁とも思わないバカである。これはバカにしかできない。

まさに『空手バカ一代』のバカである。

 脳みそを一個ずつ配給されているにもかかわらず、それを全く使わない、もしくは使えないバカ。礼儀知らず。横柄、吝嗇、軽薄。それから、未熟なクセに反抗してくるクソ生意気なバカ。逆に頭が良すぎて、人のやっていること、作ったものに対して批判を繰り返し、己では結局なにも行動に移せず、何も作らない薄らバカとか。まあ、そういうのは社会に生きて人と接していると色々会う事になるな。

 ギョクモンの門を叩く野郎はちょっとズレてる輩が多いし、作った奴もズレてるからかもしれないが、まあ、いろいろバカの種類が混在する“豊穣なるバカの海”のような場所を泳いでいる俺なのだ。

 それにしても、キチガイが自分のことキチガイだと思わないし、認めないように、バカも自分のことバカだと思わないんだよな。

 ちなみに俺のことだが、俺は自分の事が自分自身、「あ、バカかもしれない!いや!バカだ!」とかあえて思いついたりするので、もしかしたらバカじゃないかもしれないと思ったりする。夢の中で夢に気づくようなもんかもしれんし。

いや~、それにしても、俺の求めるのは宇宙規模のバカだから、そういう小賢しいバカどもは捨ておいて、ガンガン行きたいです。そしてそういうデカいバカと出会いたいね。

俺が好きな山籠りシーンで、片眉剃った後の大山倍達のコメント。

『空手バカ一代 第1巻』より


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