『天気の子』はゼロ年代グランドルートと言うより個別Trueルートで、グランドルートはアレじゃね? という話

 放置気味だったnoteだけど、ブログは手入れしてないので惨憺たる状況だし、かといってYahoo!ニュース個人や他の媒体に書くような話でもないものはこっちに書くことにし、再開することにしました。

 さて、ゼロ年代おじさんたちを興奮の渦に巻き込んだ『天気の子』観ましたか? 観てない? 観ろよ。さもなくば帰れ。観た所で満足できるかは保証しない。ここからは観たこと前提で書くので、ネタバレによる被害は一切関知しない。

 というわけで、『天気の子』をまた観たんですが、興奮の最中にあった1回目での結論であった「ゼロ年代エロゲのグランドルート」ではないのではないかという想いが湧いてきた。いや、ゼロ年代の雰囲気が濃厚に漂う作品であることに疑いはないが、位置づけに変化が生じたということだ。

 つまり、範囲を新海誠作品全体に拡大した上で、『天気の子』は個別Trueルートであって、『君の名は。』がグランドルートに相当すると位置づける方が妥当ではないかということだ(『秒速5センチメートル』は個別BADエンド)。

 『君の名は。』が来たるべきカタストロフをいかに回避・軽減し、好きな人や糸守町の人々を救う物語だったのに対して、『天気の子』は好きな人を代償にして得られるカタストロフの回避を否定し、世界がどうなってもいいけど自分の望む1人は助けるという話になる。

 こういう物語の構成を考えた場合、『天気の子』は物語途上の個別Trueエンドと考えた方が自然だな、という結論になった。

 そういう意味で『天気の子』は、「世界がどうなったっていい。だけど綾波だけは助ける!」と言い切った『エヴァ破』に近い。実際、『天気の子』作中ではこれに近いセリフも出ている。

 だとすると、『ほしのこえ』も個別Trueルートあたりだろうか。『雲のむこう、約束の場所』は……。すみません、わかりません。

 ところで、テイルズ オブ シンフォニアは、ヒロイン(CV:水樹奈々)を犠牲にすれば世界は救われるって基本ラインがありましたが、あれ2003年の作品なのに、どういうワケかこの手の議論の俎上に登ることないような気がする(個人の感想です)ので、誰か解説して下さいお願いします。なお、ToSは買ったけどシステムが合わずに途中で投げ出してます。

 しかし、自分で『エヴァ破』を出してきておいてアレな話になるんですが、グランドエンドの完成形みたいな『トップをねらえ』を出した庵野秀明が、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でどうするんじゃろう……? という想いも高まるので、色々刺激剤として危険過ぎました『天気の子』は。

 でもね、多くの人が感じるであろう『天気の子』に対する「これでよかったのかな……?」感に一番近いのは、おそらくは『崖の上のポニョ』だと思う(完)。

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