見出し画像

2019年のはなし。

僕はアニメも好きでよく見るのですが。
ふと再放送されてる『氷菓』が最終回近いことに気づき、、それから京都アニメーション🎨と去年の事について思う。

(少し長くなります。)


僕は自分で言うほど世界の人を知らないのは十分承知してるが…これだけは言える。
周りの人より圧倒的に精神的バランスを崩しやすい。

つまり俗に言う

豆腐メンタル

いや、豆腐でも僕にとっては強いくらい。。😅💦


昨年。

精神的なバランスをとるのがド下手くそな僕は去年は特にひどく、、軽く鬱状態だった。自分でも不思議なのだが家の中では普通なのだけど1歩外に出ると僕は180度自分が変わってしまう。

具体的になにがどういうことなのか説明するのは難しいけれど、、

《人に良く思われよう。親切で優しい人間でいよう。笑顔でいよう。明るく元気な人でいよう。》

そんなことを常日頃思ってそういう人を演じるみたいな。そんな感じ。

※こう書くとまるで『良い人に思われたい人』と思うかもしれないけど、決してそうじゃない。

※そして【良い人】なんて言葉も大嫌いで使いたくないけれど、他に例えようがないので我慢。

ただ僕は自分の事が大嫌いなのと、、周りの人に強い劣等感を感じやすいから、、
そうやって所謂『良い人』を演じることで自分を保っているだけの話。

(電車を待っている時に、行き先が分からず駅のホームのどちらに向かえばいいか困っている外国人がいたら、カタコトな英語でも助けてあげたい。)

それくらいのことをするだけ。

※だから「なにが良い人だよ。そんなの当たり前だろ!!」てね。


そんな外の世界で演じる毎日は、、僕にとっては苦じゃない。

(と、、、思ってた。)


演じるのは。何もかも劣っている僕が生きやすくしようとしての行動。
でもそこに僕の感情やバランスのことまでできるほど器用じゃなかった。
辛いことがあっても笑顔でいる。
心は大丈夫じゃないのに、不安でも泣きたくても『大丈夫。』がいつのまにか口癖になっている。

気づいた時にはもう遅くて

鬱。

になってた。

これは大袈裟じゃなく毎日毎日泣いたり叫んだり。頭の中に情報を詰め込みやすいため、TVやSNSも見てはいけなかった(けど見ていた)。常にストレスが飽和状態で。上手な吐き出し方も分からない。涙が止まらない。ご飯が食べられない。栄養不足と睡眠不足で胸が痛い。そんな悪循環でした。


そんな中での7月18日。

僕はその日は15時頃初めてTVをつけた。

見慣れた「京都アニメーション」の文字と燃える建物。

なにもかも信じたくなかった。
大好きなアニメを制作されてる京都アニメーション。
アニメファンの間では極有名な会社。僕はすぐに何が起きているのか調べて、、、ひたすらに無事を祈った。


涙がとまらなかった。


あまりにもショックで悲しくて、、、
それ以降まる1週間ご飯がまともに食べれなかったことだけ。しか思い出せない。
(この時既に仕事はやめていました。)


そこから数ヶ月病院に行ったり、親友に迷惑をかけたりで、、、。
いろいろあって今があります。

親友には感謝してもしきれない。

ありがとう。

__________


始めに戻るけど、、そんなことがあったなあとふと思い出した。

1度失ったものは帰ってこない。

たとえどんなに乞い願おうとも。

だから。

遺された作品を愛していこう。今まで以上に応援しよう。感謝を忘れないようにしよう。そう思った。


もし、、、、映画のフィクションでよくある、

自分の命を犠牲にすれば救われる命
があるのなら。僕は喜んで犠牲にする。
それくらい。
大切なものだったし。僕は京アニ作品が大好きだから、1度は京アニまで訪れて制作されてる人や風景を見たいと思ってた。

嘘をつかずに言うとこの記事を書きながらも
ポロポロ涙が止まらない。

でも、、1番辛いのは。悲しんでいるのは。
京都アニメーションの方や亡くなった方の遺族だ。

いつかきっと。1歩ずつ前を向いてくれる日が来ると僕は信じて、京アニを作品を愛していこうと思う。


長くなったのでまた続きは後日。
京都アニメーションへの思いを綴ります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?