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陰謀論と靖国神社と招魂と


招魂教(靖国神社)はテロリストの為の新興宗教/招魂は慰霊ではなく、死んだ軍人の魂を招き寄せ、生者に憑依させて[攻撃の鬼]にする(暗示をかける)呪術。

上記は、主に陰謀論者によってまことしやかに信じられ、広められているが、魔術・呪術を少々かじった者として考えたこと…。

「靖国は、鎮魂・慰霊の場どころか逆だ。死霊を眠らせずに呼び出す場所、招いた死霊を前に誓う場所だ。」

というのがその主張だが、いつも引っかかるのが、そもそも「死霊を眠らせずに呼び出す」ことができるのか?
ということ。
「生者に憑依させて[攻撃の鬼]にする(暗示をかける)」ことなどできるのか?
いやいや、攻撃の鬼になった生者なんて見たことないぞ?
「靖国」と「招魂神社」についての陰謀を読むと、いつもそこはそのまま受け入れられて、「招魂」なるものが「できる」という前提になっている。

既にここで、一つの問題が浮かび上がる。 それは、知識のない人は言われたままを信じてしまうということだ。 オカルトに対しても同様だ。 だから、支配者層は意図的に「オカルト」を隠そうとしてきた。 その儀式が何を意図しているのか、何の効果があるのか、一般の人にはわからない。一般の人がオカルトを信じず、笑うのは、そのように仕組まれているからだ。オカルトはフィクションで、エンターテイメントのネタとしかとらえていない。けれども、支配の上層へ行けば行くほど、「政教分離」はしておらず、オカルトの力を使っているのだ。

さて話は戻って、死後のことは誰にもわからないから、どんなことを言っても、完全に否定することはできない。 だから「招魂」も「できる」と言われれば、そうかもしれない、となるわけだ。

平安時代に行われていた招魂祭(しょうこんのまつり)は陰陽道によるもので、靖国での「招魂祭」(しょうこんさい)とは異なる。 陰謀論でもその旨指摘されていることもあるが、結局、混同されている。

招魂祭(しょうこんのまつり)は、「人には「魂」というものがあると信じられ、熟睡したり悩み事に屈託したときには衰弱した肉体からその「魂」が遊離すると考えられていた。そのため、病気やお産などの際に身体から遊離した魂を屋根の上で衣を振るなどして招き戻す祭祀を行った。」

Wikipedia「招魂祭(しょうこんのまつり)」より

これはつまり、臨死/仮死状態にある人、あるいは魂が抜けてしまった人を連れ戻す儀式と理解できる。だから基本「生きている人」に行うわけで、「完全に死んでしまった人」には禁止…というよりも効果がないのではと思われる。

では、靖国神社で行われている「招魂祭」(しょうこんさい)とは?
靖国神社で、毎年7月13日から16日に行われる「みたままつり」の祭典のことだろうか?

「みたままつり」は終戦の1947年から始まった英霊を慰める祭儀。毎年7月13日から16日まで行われ、多くの人で賑わいます。神輿や日本各地の伝統芸能が奉納されます。

特に夜の青森ねぶたや3万個以上の提灯や懸雪洞(かけぼんぼり)は見応えがあります。有名な画家や書家、漫画家、力士などの懸雪洞も展示されているので、それを見ているだけでもあっという間に時間が過ぎてしまいます。

また正門に懸けられた巨大な七夕飾りも圧巻ですよ。幻想的な光が作り出す境内は異空間のようです。

外国人に大人気にもかかわらず、大手メディアは積極的に「みたままつり」を報道しません。特定アジア(中韓)を刺激しないように、メディアが報道を自主規制しているともいわれます。

https://golden-zipangu.jp/japan-mitama0221

具体的な祝詞の内容はわからないが、慰霊祭だと言っている。神輿や日本各地の伝統芸能が奉納され(2021年は露店の出店や各種奉納行事は中止となった)、多くの人(毎年30万人!)で賑わう生きている者が楽しむ祭りは、慰霊ということでよいと個人的には思う。
光の祭典に招く慰霊のための招魂、というわけだ。

…まあ、献灯や祭礼、その他の収益がどこへ行くのかは別の問題だ(笑)


※すべて個人的な見解です!

おまけ
こちらのほうがよっぽど呪術的…。

被祀者の遺骨・位牌などはない。まず真っ暗闇の夜に氏名、軍における所属・階級、位階、勲等などを筆書きし、「人霊」を「霊璽簿(れいじぼ)」(旧称「祭神簿」)と称される名簿に移す。次に靖国神社の神体とされる鏡に「霊璽簿」を写し、合祀祭を行うことで「人霊」を「神霊」へと化す。

Wikipedia「靖国神社」より

追記
多くの陰謀論者が気になるポイントはこの部分だろう。

1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。日本初の招魂社となる櫻山招魂場(現・櫻山神社)は1864年(元治元年)5月に山口県下関市に築かれ、翌年8月に社殿が完成した[2]。櫻山招魂場は、その後の四境戦争、戊辰戦争の戦没者を始め、吉田松陰や久坂玄瑞といった倒幕と維新のために尽力した志士を合祀している[2]。

生前の身分に関わらず個々の戦没者を隠り身として祀る招魂社の発想は、その後全国に広がった[2]。 東京招魂社は1879年(明治12年)に明治天皇の命名により靖国神社と改称、地方の主な招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称している。

Wikipedia「招魂社」より

上記に出てくる「隠り身」という言葉の意味、調べてもハッキリとは出てこない。「日本神道の語。神は人間の肉眼では見えないこと、またその神の身。現人神の対。」(Weblio辞書)とある。
(この考えでは、つまり(国家神道において)現人神は天皇ということになるのだろうか…。)

「隠り身」という言葉が最初に出てくる文献は古事記らしい。

天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻、下効此、次高御産巣日神、次神産巣日神。
此三柱神者、並独神成坐而、隠身也。
次、国稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時流字以上十字以音、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遅神此神名以音、次天之常立神訓常云登許、訓立云多知。
此二柱神亦、並独神成坐而、隠身也。
上件五柱神者、別天神。
次成神名、国之常立神訓常立亦如上、次豊雲上野神。
此二柱神亦、独神成坐而、隠身也。

古事記

古事記の神々は、『見えにくい』だけであって存在は続いていて、世界を陰から支えているという解釈ということだ。

以上を踏まえて考えると、招魂社は戦没者を見えない神として祀っている、ということになる。

…続く。

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