★読書愛好会(31)
夏目漱石「二百十日」をまた読みました。なんだか気になる作品なんですよね。
作品の終盤は以下の通りです。
~・~・~・
「よく知ってるね。――あの下女は単純で気に入ったんだもの。華族や金持ちより尊敬すべき資格がある」
「そら出た。華族や金持ちの出ない日はないね」
「いや、日に何遍云っても云い足りないくらい、毒々しくってずうずうしい者だよ」
「君がかい」
「なあに、華族や金持ちがさ」
「そうかな」
「例えば今日わるい事をするぜ。それが成功しない」
「成功しないのは当り前だ」
「すると、同じようなわるい事を明日やる。それでも成功しない。すると、明後日になって、また同じ事をやる。成功するまでは毎日毎日同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるい事を同じように重ねて行く。重ねてさえ行けば、わるい事が、ひっくり返って、いい事になると思ってる。言語道断だ」
「言語道断だ」
「そんなものを成功させたら、社会はめちゃくちゃだ。おいそうだろう」
「社会はめちゃくちゃだ」
「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」
「ある。うん。あるよ」
「あると思うなら、僕といっしょにやれ」
「うん。やる」
「きっとやるだろうね。いいか」
「きっとやる」
「そこでともかくも阿蘇へ登ろう」
「うん、ともかくも阿蘇へ登るがよかろう」
二人の頭の上では二百十一日の阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している。
~・~・~・
漱石は華族、金持ちを全否定しているわけではなくて、権力、金力を悪用して民衆を苦しめている華族、金持ちを批判しているのではないでしょうか。
この作品が発表されたのは1906年。日露戦争は1904~1905年。108万人の日本国民が兵役を命じられ、戦死者は5万人とも8万人とも言われています。
《阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している》、このメタファーは為政者からの不当な圧力に耐える民衆の長年の不満を表しているんでしょうね。
僕は能力がないため政治家にも社長にも金持ちにはなれそうにありませんが、弱い誰かを踏み台にして生きるような、そんな卑怯な生き方は嫌だな、と思いました。
ところで昨日、新宿駅の南口を母親が見知らぬ男と歩いていました。今まで見たことがないような楽しそうな顔で、男と腕を組んでいました。母はふだんから朝から晩までスマホで何かを非常に熱心にやっているため、なんだか怪しい感じでしたが、やはりそうだったのかと納得です。もともと母を信用していないのでがっかり感は皆無です。
父には冷たくして他の男と楽しく交際している母に対する憎悪が一万倍に膨らみました。一刻も早くこの汚らしい、邪悪な家庭を脱出したい気持ちがますます高まり一層勉強に力が入ります。
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