★極道学園(535)

以前Diamondオンラインに以下の記事が掲載され、俺たちの間で話題になった。

【ヤクザと共生する街、神戸市民の意外な「山口組観」

「お笑いができるなら吉本興業へ。

勉強が出来るなら三菱か川重、神鋼もいい。

ソロバンが上手なら神戸銀行(現在の三井住友銀行の源流のひとつ)へ。

腕っぷしが強いなら上組(*筆者注)に。

腕っぷしに自信があって頭も良くて、ソロバンが弾けるかお笑いができるのなら“山口組”や」

*上組→神戸に本社を置く、港湾運送業・倉庫業・重量物運搬などをおこなう企業である。港湾運送最大手。

大阪に本社を置く吉本興業を除いては、すべて神戸に根付いた全国規模の企業である。

もちろん現在では、たとえ冗談でもこのような進路指導は許されないだろう。

しかし現在70代の女性が高校生だった昭和30年代後半から40年代初めは、暴力団(ヤクザ)を取り巻く状況が現在とは大きく異なっていた。

この頃の山口組のトップを務めていたのは、“山口組中興の祖”として名高い三代目組長・田岡一雄氏だ。

敗戦の翌年、昭和21(1946)年から昭和56(1981)年までの長きに渡って、全国最大規模のヤクザ組織の頂点に立っていた田岡氏は、同時に、芸能プロモーションや港湾荷役といった事業を手掛ける「実業家」という顔も併せ持っていた。

田岡氏は実業家としての実績から、「神戸港船内荷役調整協議会委員」という公職にも就いていた。そうした縁もあり、昭和34(1959)年、田岡氏は神戸水上消防署の1日署長も務めている。いわば“町の名士”だ。

「ゆうてもヤクザや。その世界に身を置く人なら怖いやろう。そやけど、山口組さんはその世界では一流や。本物の男やもん。素人(一般市民)を泣かすようなことはせん。警察も役所も当てにならんとき、頼りになったのは山口組さんや」(前出の70代女性)

女性が言う「警察も役所も当てにならない」とは、平成7(1995)年、阪神大震災のあった年、当時、五代目組長だった渡辺芳則氏の陣頭指揮の下、組織を挙げての救援活動を行ったことを指す。

震災後、避難所で不自由を強いられていた被災民に、いち早く食料はもとより、ミルク、オムツ、生理用品まで届けたのが山口組であることは、今では多くの人が知っている。前出の70代女性が続けて語る。

「震災後、役所はモタモタしてるし、食べ物、飲み物もよう持ってこん。市内はノーヘルの原付が走り回ってる。そんな時、お巡りさんは何も言わへん。不謹慎な言い方やて叱られるかもしれへんけど、あの時、最後に頼れるのは山口組さんなんやなて思うたわ」

近年では阪神大震災、古くは敗戦後のような混乱期、「法の枠組みを超えた力と発想」で動ける山口組のほうが、警察や行政よりも動きが早かった――というのは、率直な市民目線の感覚だろう】

かなりヤクザというか山口組に好意的な記事である。しかし書いてあることは全くの事実であり警察関係者などは若干、苦い思いがあるんじゃないか。

警察、自衛隊は国家の暴力装置と言われているが俺たちヤクザは警察、自衛隊のように法律の範囲内で動く装置ではなく無法の暴力装置なのである。

しかし近年次々と暴力団関係の法律ができ、俺たちは足かせ、首かせ、手錠をかけられたようなもので、国家から見ると是非とも世の中から排除したい邪魔者になってしまったのである。

これは俺たちにも大きな落ち度がある。覚せい剤の販売、喫茶店での誤射(一般市民が流れ弾に当たり死亡)など、国民の安全を大きく強く脅かした事件が多発したのだ。

警察が俺たちをこの世から消したい気持ちは分からないわけではない。一般市民の生活防衛という大義があるわけだから。

ときおり思う、明治維新後、全国の侍(士族)が失業した。それを西郷隆盛はどのような気持ちで見ていたのか。華やかな暮らしを始めた薩長の官族を見て西郷隆盛は言った、俺はこんなことをやるために命を賭けたわけではないと。彼は常に社会的弱者、一般庶民の立場を慮る人であった。

村上春樹がエルサレムで語った、壁にぶつかり割れる卵の話にも通じる理念、情念である。彼もまた社会的弱者の側に立つ人物である。

【もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。

そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?

さて、このメタファーはいったい何を意味するのか?ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。

しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに】(村上春樹談)

俺は今日もワンフォイの店で大量の皿を洗いながら極道の生きる道について考え続けた。この世の(社会的)弱者を救うために残りの全人生を捧げようと改めて決意した俺はコンビニで600円のセブンスターを買い、お釣りの400円を募金箱に入れた。

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