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87DAY ‐凄い気になった小説だったので紹介してみた(佐藤究「テスカトリポカ」編)1

 (忠告)

 絶対に最後までこのブログを読み、次回も読むことを進める。それではどうぞ。


 「すべての神々は人間の血と心臓を食べて生きている。血と心臓を捧げなかったら、太陽も月も輝くのをやめるだろう。」アステカの考えだ。

 「よく聞け、坊や」とバルミロは言った。「トシュカトル。それが太陽暦十八か月のうち五番目の月の名前であり、テスカトリポカのためにとりおこなわれる祝祭の名前だ。トシュカトルには〈乾燥したもの〉という意味がある。アステカの五月は乾季の終わりで、一年のうちでもっとも暑い。太陽は燃え盛り、夜でも乾いた風が吹き、大地は干からびて草木は枯れていく。テスカトリポカとは、自然で言うなれば夜と風だ。夜は暗く、風は体がない。つまり目に見えず触れることもできない神なのだ。

 トシュカトルは、五十二年に一度の大祭である〈時間の尽き果てる夜〉を除けばアステカ最大の祝祭だ。このアステカを征服しに来た征服者、呪わしきキリスト教徒の連中も、その規模を目にして「わが主イエスの復活祭に匹敵する」などと記録したほどだ。

 トシュカトルの準備は一年をかけて行われる。その年の太陽暦の五月が終わるとつぎの年の準備、それが終わると、次の準備にかかる。

 トシュカトルのためには、一人の少年が選び出されなくてはならない。健康な少年だ。耳を切り落とされた奴隷でもなく、戦闘で負傷した敵国の捕虜でもない。どこにも傷を負っていない少年は、ひとたびトシュカトルのために選ばれたなら、たとえどんなに貧しい生まれだろうと、最高級の衣服と宝石でその身を飾り付けられ、宮殿と変わらない豪華な住宅に移り住む。すばらしい食事、すばらしい寝床が与えられ、神官によって〈話す者〉のように高貴な言葉遣いを教えられる。話す者とは、坊や、アステカの王のことだ。

 少年は髪を切らない。身の回りを世話する従者の手によって毎日のように手入れをする。腰までのびた髪は、まるで黒曜石の鏡のように黒光りしている。そしてアステカでも広く名が知られた歌い手に歌を教わり、名の知れた音楽家に笛の吹き方を教わる。

 少年が住宅を出て外出するときは、まるでそれ自体が祭りのような騒ぎになる。大勢の彼の従者を引き連れ、仮に歩く道先になにか別の祝祭が行われていても意に介さない。彼だけは特別だ。あらゆる人々、貴族でも首長でも戦士でも少年の前でひざまずく。なんでかって?それはな、坊や。この少年こそがテスカトリポカの分身だからだ。ほかの神なら、戦士や踊り手などあらゆる人が衣装を着けて分身になれるが、テスカトリポカは一年にたった一人の人間にしか分身になれない。(続く)

 

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