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89DAY ‐凄く気になった小説だったので紹介してみた(佐藤究「テスカトリポカ」)3

 その日、午前二時過ぎに、崔岩寺のシェルターの手術室で末永が九歳女児の心臓の摘出を終える。百五十グラムの心臓は、一リットルの心保存液とともに排液バッグに入れられ、アイスボックスの中に保管される。

 移植可能な四時間以内に心臓を届けなくてはならない。シェルターを出た心臓はトラックに積まれ、殺し屋の車両に護送されながら多摩川を超えて川崎市に向かい、海底トンネルを抜けて人工島の東扇島へと運ばれる。

 心臓、心保存液、アイスボックス。総重量二・二キロの商品は物流ターミナルで降ろされ、待機していた中国製ドローンで、喫水部分を差し引いても七十メートル以上の高さがある船、ドゥニア・ビルの最上階、オープンデッキまで一気に運ばれる。

 〈拡張型心筋症〉と呼ばれる病に悩まされた七歳の娘のために心臓を買ったシンガポール人の投資家は、手術費込みで総額六億四千万円という金を、〈チョクロ〉の窓口であるエル・ロコという呼び名の日本人に支払うことになった。それは例えば、移植先進国のドイツやアメリカの病院で合法的に心臓移植をした場合の二倍以上の額だった。それでもそのシンガポールの投資家であり父親は、「高い」とは全く思わなかった。どれだけ待っても提供者(ドナー)に出会えるとは限らない心臓移植の世界で、金さえ払えば確実に移植までたどりつける。しかも闇ルートであるにもかかわらず、空気の汚染されたスラム街で買われた子供の心臓ではなく、日本で健康に育てられた子供の心臓を、父親はもっと金を出しても惜しくなかった。

 チョクロ

 東京都大田区のシェルターで摘出され、川崎港へ出荷される子供たちの心臓はそう呼ばれていた。

 元来〈チョクロ〉とは、ペルー原産の謎めいたトウモロコシを指し、なぜかこの種類だけ、粒が通常のトウモロコシの二倍の大きさに育つことで知られている。かつてインカ帝国の首都だったクスコを取り囲む標高三千メートル級の高地でしか生育せず、別の土地で育てると普通のトウモロコシになってしまう。さらに遺伝子組み換えによって生産することもできない。

 産地を限定された希少性があり、遺伝子操作では手に入らない穀物の名、その名を自分たちの売る心臓に与えることを思いついたのはバルミロだった。

 NPOの「暴力的な親から子供を保護する」という名目のもと集めた無戸籍児童を、海外の里親のもとへ巣立たせ、二度と戻ってくることはない。

 スラム街に住む子供の心臓ではなく、品質が保証された日本産(メイド・イン・ジャパン)の子供の心臓。

 大人ではなく子供に照準をさだめた新たな心臓移植のビジネス、巨大船ドゥニア・ビルからのそれに関する極秘情報は、地震の波動が伝わるようにして世界中の富裕層のもとに届く。

 血の資本主義の激しい競争の中で〈チョクロ〉は唯一無二のブランドとなり〈児童心臓売買〉のシェアを独占していった。


 第165回直木賞受賞作、佐藤究氏作「テスカトリポカ」。いかがだったでしょうか。元麻薬密売組織の幹部バルミロと裏社会の外科医末永の立ち上げる新ビジネス「児童心臓売買」。そして公的教育をほとんど受けずに裏社会新ビジネスにのめりこむことになるメキシコ人ハーフの「坊や」こと少年コシモが、アステカの神々の伝説と裏社会の現状を重ねつつ行動するエンターテインメント作。税別価格で2100円、全国の書店で販売されています。ぜひぜひ読んでみてくれまし。

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