僕が女装で歩んできた道、昔から今に至るまで。

びおと申します。名古屋と東京で夜な夜な女装をしてお酒に飲まれるのが楽しみとしています。Twitterに以下の文章を書いた所、文章を書きたい欲が湧いてきたので、noteを始めようと思いました。以下、その時の文章です。↓


僕にとって女装は性癖が少し混じった憧れでしか無かった。子供の頃、好きなアニメのキャラが不意に女装をする度にテンションが上がっていた。水被ったり、お湯を被ったりするだけで性別が変えられるキャラクターにもすごく惹かれていた。

そんな僕が実際に女性の服に袖を通し始めたのは、中学生の時だったと思う。とあるゲームの付録でそのゲームキャラの制服が付いてくる、みたいな感じだった。中学生の僕には人の目を気にせず合法的に女装できる手口としては上出来だと思う。

今は絶対(太ってしまって)そのゲームの付録に袖なんか絶対通せないけど、すごくあの感触は覚えている。謎に迫る背徳と、恥ずかしさ。祖母の家で暮らしていた僕は、どことなく亡くなった祖父の遺影が飾られている仏壇を見た。一瞬で賢者タイムになった。笑

メイク道具を買い出したのは高校の頃、と言っても出来はガタガタで、小学生がやるお祭りの型抜きみたいな出来だった。1番覚えているのは1人で大須でこっそり女装して、たった1人でプリクラを撮ったこと。その写真、一生出てこなくていいけど光景はよく覚えている。すごくバクバクした。

大学に入って、いわゆる子供の時に見たザ・大学、ザ・サークルを追い続けた僕は、学祭で女装しよ〜とふと思い立った。大学の一人暮らし始めてからこそこそメイクだけは続けていて、その成果、いや自己顕示欲を満たしたかったんだと思う.....それでも楽しかった。人前に立つのは十分だった。

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いくつか服が余って後輩にも女装させたりして、サークル内では何となく学祭で女装するムーブメントが巻き起こせた。と思う。でもオタク大学に於いて女装するは一つの目標でありゴールである人がいる様、な気もする。多分個人差。

喫煙場所で知らない妙齢の方に男性である事を吃驚されたのとか、今でも嬉しくてしょうがなかった。多分調子に乗った笑。その後、色々ありつつ、彼女がきちんと出来て、女装と距離を取る時期があった。女装をし続けていた理由、おそらく彼女いなければ自分でなろう、みたいな在籍してた工学部的な理由。

その後、紆余曲折して、都度学祭で女装する機会がありつつも、1番女装に対して熱が再燃したのは、奇しくも失恋。と言っても僕から閉じた恋愛だから文句も言えない所だけどね。その直前に、学祭があって、OBとしてなんとなく女装しようと(イキりたかっただけ)思い立って服を物色した時、一つに気づきがあった。

絶対、これは絶対に絶対なんだが、服のチョイスが良くなっていた。中高大(初期)なんかはメイドにセーラー服しか出てこなかったのだが、きちんと女性の服が分析できる様なっていた。こういう服が良い、似合いそうが自分の幅を広がったのが嬉しかったなあ。

その後1人でのうのうと女装し始めるんだけど、フォロワーの方が会おう!って去年の末くらいに誘ってくれた。最初は女装の予定なんか無かったけど。結局連れて行かれたのは名古屋にある女装が集まる場所、トイボックスだった。

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初めてのトイは右も左も分からずで、その人頼りで過ごしていた、その後年が空けて、自分で東京で女装する事もして、1人でまた、トイにふらっと立ち寄ってしまった。

夜のトイは煌びやかで鮮やかで、知らない人だらけだったけど、暖かく迎えてくれた。今はもちろん顔見知りばっかりだけど。最初は怖かったー。笑
色々とハマった僕は、長い長い道を抜けたかの様に、女装の深い世界に足を踏み入れた、気がする。

今では毎週毎週トイに行ったり、東京にいる時はどこか行ったり、自分で女装する時間を見つけてリフレッシュしている。日によって喋る相手も違うし話題も違う。けど慣れが先行して楽しい時間がそこにある。いつのまにかメイクもガタガタからそれなりにマシになっていた。加工が1番強い理由だったのは内緒だけど。

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僕の今、を作っているものは間違いなくみんな女装していて、みんな何か面白い部分があって。それが大好きです。最初は小さなきっかけだったかもだけど、結果として友達が出来るのは楽しくて。正直大手を振って言う趣味じゃない、けど僕は楽しいです。きっと余程じゃなければずっとずっと浸かってたい趣味。女装。ありがとう。



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