見出し画像

選手との関係性

今日は選手との関係性について、考えてみたいと思います。

上記のような対象者とはどのような関係性でいるかは、各コーチのフィロソフィーが大きく関与してくると思います。

僕が高校生の頃(十数年前)は、監督、コーチの言うことは絶対で、対象者である選手が持っている感覚は置き去りにされていたことが主流ではなかったかと思います。つまり、指導する側が上に立ち、指導される側はその指導を言われるがままにやり、違うと思ってその指導を聞かない選手は自分勝手と烙印を押されました。

好きな競技も高校生で嫌いになったのをよく覚えています。

選手の目線に立つ

もちろん、経験豊かな指導者がこうしておけば、こう育つみたいなストーリーを持ってそのような指導をしていることもあるかと思います。しかし、現在の選手は何故、それが必要なのかをしっかりと説明出来ないと受け入れてくれません。また、多くの情報が飛び交っている中どんなことが正しくて、どんなことが間違っているかを伝える必要性も出てきています。

 このようなことから、指導者が選手の目線まで降りてきて、一緒に議論を交わすような関係性が好ましくなってきています。

ティーチングとコーチング 

選手へのキューイングを出す時に、ティーチングかコーチングかは重要な要素ではないでしょうか。こうする事が正しいから、こういう動きをしなさいというのは、正解を示しながら、伝えているのでティーチングと言えます。

一方で、コーチングを使う時にどうしても対象者の感覚が必要になってきます。

走る時にどのように力を伝えているのか、どの方向に伝えているか。野球でボールを打つ時にどのような姿勢、フォームでボールとのタイミングをとりたいかなど、対象者が現状をどのように捉えて、パフォーマンスを発揮しているか、発揮できていないかを把握して、そこに解決するためのアドバイス(身体の使い方やコンディションメニューなど様々)を送り、トライしてもらう。

そこで、良い悪いが出てきてトライ&エラーを繰り返す。もちろん、ティーチングを私も使いますし、ティーチングが悪いわけではないです。

このコーチングをするためには、冒頭で話したような上下関係では到底叶いません。つまりは、指導する側と選手との間に化学変化が起こることはあり得ず、こちらの想像を超えることはないでしょう。

選手と寄り添って一緒に問題解決をする。寄り添うためには専門的な知識や知恵ももちろん必要ですが、まずは選手と化学変化を起こせる関係づくりをすることが大切ではないでしょうか。