(医療従事者向け)サービス業目線で医師の役割を考える。
夏の暑さに負け、
日々の仕事や家庭の行事に明け暮れていたら、
すっかり筆不精になり、
更新できずおりました(^^;)
さて今回は、
特に自分が若手の時に思っていたし
たまに後輩の先生から問われる
「開業や外来医なんてやりがいあるの?
どんどん退化するだけではないの?」
という質問について考えてみたいと思います。
若手医師が外来診療や外来医を見下しがちになる理由
僕たち医療従事者、
特に医師は
無意識のうちに
アカデミックなヒエラルキーを
意識しがちです。
無論、
これは
医学生時代からの
刷り込み効果に大きく影響されているのは
いうまでもないでしょう。
自分は
そういうしがらみからは自由だと
思っている方もいるかもしれません。
でも、
やはり名門大学、大病院の看板を
目にして気後れする気持ちはありませんか?
なかなか拭えないのではないでしょうか?
まぁ、
この価値観が共通認識として
成り立っているからこそ、
多くの医師は、
プライベートな時間を潰し、
心をすり減らしてでも、
論文を書き、
カンファレンスの弾劾に耐え、
熱心に最新の知見について勉強し、
国内、海外の学会に行ったりも
するんだと思います。
(自分はそうでした)
そんな価値観からすれば
・高度な医療技術
・最新の治療薬
・すべての疾患を網羅できる施設設備
これらを提供できることこそが
素晴らしい医療である
という基準を絶対視しがちです。
僕も以前はそう信じて疑いませんでしたし、
もちろんこれは
臨床医学的には正しいと
今でも思います。
でも、
この価値観が強くなりすぎると
・中小規模の病院で外来をメインに診療している医師
・開業医
・僕のようなフリーランス医師
を見下しがちになるリスクにつながりますし、
入院診療や研究の方がより崇高で価値のある行為に見え、
コミニュケーションにより多くの労力と時間を割く仕事である
外来診療に対するストレスが大きくなりがちです。
そう、
外来診療というのは
医業という学術的、権威的立ち位置とは異なり、
サービス業に
とても近い側面があるのです。
日常よくある会話
普段外来診療をしていると、
よくこういう風なことを言われます。
「先生に会うとちょっと元気出るわ。
話も聞いてくれるし、覚えててくれるし。
画面ばっかり見て病気のことばっかり話す
先生のところに行っても、
そんな気分にはならんし、行きたくなくなるもんな。」
こう言われる僕としては
いつも複雑な気持ちでした😅
だって、
僕の提案する検査や説明
処方薬に対する提案ではなく、
生活の様子を交えた短い会話、
診察を通して日頃の困りごとを聞くこと
(決して解決はしないようなことが大半です)
に対して価値を見出されている
気分になるからです。
でも最近読んでいる
「競争優位を実現する
ファイブ・ウェイ・ポジショニング戦略」
を見ていて、
ふと合点がいきました。
僕はこれまで
医者たるもの、医学的な知識や見識を
患者に届ける(=サービス)こそが
僕の提供できる強み、役割
だと思っていたんですが、
実は患者は
心理的アクセス、つながり
を求めて外来に来ていることも少なくない
ということに気がついたからです。
冒頭の本は
様々なサービスを提供する企業の経営戦略において
5つのすべての要素
サービス、アクセス、価格、商品、経験価値
を追い求めるのではなく、
1つに特化し、その他は平均的な位置にもってくることで
同業他社との競合に負けることなく生き残れる
という理論を唱えた本です。
これらひとつひとつの要素の
解説の解像度が高く、
より多面的にものを見られるようになれ、
気づかされる点も多いのですが、
医師の役割を
この理論にあてはめた場合、
国民皆保険の日本では
価格、商品についてはあまり差別化はできない
(少なくとも医師が思っているほど患者は
医療の質の差を理解できていない)ものの、
アクセスやサービス、経験価値の面では
かなり改善の余地があるなと思うと同時に、
このことに
僕たちは非常に疎い、気が付いていないのではないか
とも感じました。
だからこそ、
冒頭のような
「外来診療なんてやりがいあるの?」
という問いにつながっていきます。
サービス業目線で外来診療を捉え直すと気分は変わる
優秀なセールスマンは、
商品を売るのではなく
自分自身を売る
とよく言います。
それは僕たちにも
言えるのかもしれません。
僕たち担当医師のことを
信頼できる
この人だったら気軽に色々話ができる
困りごとの相談ができる
人物だと思った時に、
僕たちが提供する医療は
最大限の効果を発揮できるでしょう。
言い換えると、
患者の顔もみず、データの結果だけ言添え
難解な医学用語を羅列し、
早々に外来診療を終えようとする医師の
処方した薬剤を
患者はこっそりゴミ箱に捨てているかもしれません。
それは
信頼や心理的安全性の確保、
心理的アクセスのよさ
とは無縁だからです。
これはよい医療を提供したと言えるのでしょうか?
僕に言わせると、
「押し付けた」だけに見えます。
限られた時間で
いかに心理的アクセスのよさを感じてもらい、
信頼を勝ち取れるか、
そして
自分の提案する医療サービスをベストな
形で受け取ってもらえるか
外来診療は
そういう土俵での戦いだと
最近僕は思っています。
それがやりがいあると思えるかどうかは
その人の特性にもよるのでしょうが、
少なくとも患者の多くは
それを第一に求めている気がしてなりません。
相手の求めることに答えるのは、
立派なやりがいにつながるんだけどな
と中堅医師としては思うのです。
それでは、また。
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