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ロシア・アヴァンギャルドについて

桑野隆『夢見る権利 ロシア・アヴァンギャルド再考』を読む

※この文章は以前大学のレポートとして提出したものです。


はじめに

1910年頃から1920年代末にかけて「ロシア・アヴァンギャルド」と呼ばれる芸術運動あるいは文化現象が展開された。ロシア・アヴァンギャルドはそれまでの芸術と異なるいくつかの特徴を持っていた。その中に現在と現状への強い否定的、懐疑的な態度とそれゆえの新しい価値観や世界観への探究心、他所を志向する態度という精神性をあげることができる。こうした精神性はロシア革命とも呼応しあい、運動は複雑な展開をみせた。

ロシア・アヴァンギャルドの隆盛からおよそ100年が経ち、かつてロシア・アヴァンギャルドとともに異なる次元、すなわち政治において新しい世界を希求した革命によって成立したソビエト連邦が崩壊した現在においてロシア・アヴァンギャルドはどのように捉えられるべきなのだろうか。100年という年月が経っていながら、おそらく当時の運動を単なる歴史的出来事として捉えるべきではない。ロシア・アヴァンギャルドは時代に対し多くの問題を提起したが結局十分な回答をせずに終わっている。それらは現在の私たちに対しても重要な問いとして迫ってくるからだ。[1]p.3

今回のレポートではロシア・アヴァンギャルドが何をどのように志向し、どのように終焉していったのかその全容をつかみ、ロシア・アヴァンギャルドが現在の私たちに語りかけるもの、現代においてロシア・アヴァンギャルドを学ぶ意義について考えてみたい。


1. ロシア・アヴァンギャルドは何と戦ったのか

ロシア・アヴァンギャルドは以前の芸術・文化運動に比べて攻撃的に感じられる。この点は同時代に行われたシュルレアリスムやダダイズムといった運動とも共通しているが今回はロシア・アヴァンギャルドに限定して考えてみたい。

ロシア・アヴァンギャルドにおいて否定的な意味を持っており芸術家たちがそこからの脱出を必死に試みたものは「быт(ブイト)」であった。「ブイト」とは「暮らし方・日常生活」などと訳されるものであったがロシア・アヴァンギャルドの担い手たちに言わせれば「事物の陳腐な構造に従属し、それゆえに沈滞している」ものであった。つまり「ブイト」は「惰性態」であり、「凝り固まり、伝統的で保守的な社会的骨組み」であり乗り越えるべきものだったのだ。「ブイト」批判はロシア・アヴァンギャルドの最初から最後まで行われることになる [1]p.18

「ブイト」すなわち現在・現状の不変への強い否定感情はロシア・アヴァンギャルドに特徴的な一見攻撃的な表現の根幹をなしているように思われる。


2. ロシア・アヴァンギャルドのふたつのアプローチ

ではロシア・アヴァンギャルドはどこを目指して「ブイト」からの脱出を試みたのだろうか。

ロシア・アヴァンギャルドにはふたつのベクトルがあるとされる。ひとつはキュビズム、構成主義、スプレマティズムなどの未来志向である。未来志向に関してはしばしばその無対象性が特徴として挙げられる。それ以前の芸術は何らかの対象を前提とした上で作品として成立していた。しかし、ロシア・アヴァンギャルドは表現から対象を引き離すことで表現そのものの純粋な可能性を求めた。それは媒体の固有性を追求した形式主義とも通じる。こうした芸術に対するアプローチは伝統との決別を意味しており、世界の認識を新たにしようとする未来へのベクトルを持ってきた。


ロシア・アヴァンギャルドの特徴である無対象性が顕著に現れた作品である
《黒の正方形》カジミール・マレーヴィチ 1915年

もうひとつはイコンやルボークなどの民衆画、民衆的で通俗的な笑いやパロディ、グロテスクなど過去や原始へのアプローチである。これらのアプローチは固定化された日常や伝統に否定的な態度に反するように感じられるかもしれない。だがロシア・アヴァンギャルドのプリミティブ志向はあくまで行き詰まった西洋文明に対してのアンチテーゼであり、原始に不変の現在に対抗する理想を求める動きである。ロシア・アヴァンギャルドの志向した過去とは現在を成り立たせる伝統などの「近い過去」ではなく、現在から連続性を断たれた「遠い過去」である。


ルボーク(民衆木版画)《ヒゲ刈り》18世紀

3. 「ここではないどこか」

ロシア・アヴァンギャルドのふたつのベクトルはいずれも時間的他所への希求という共通の原動力を持っている。それはどのような原動力であったのだろうか。

日本の小説家、エッセイスト、劇作家として知られる中島らもは「楽園」について興味深い分析を行なっている。中島によれば「楽園」は存在し得ない。しかし、人間が絶えず「楽園」を志向するのはなぜか。それは、「少なくともここは楽園ではない」という強い思いがあるためだと中島は言う。[2]p.246つまり「楽園」への憧れは現在・現状に対する否定的な感情によって作り出される「ここではないどこか」への憧れと言い換えることもできる。この「ここではないどこか」への憧れはロシア・アヴァンギャルドの原動力であった「ブイト」批判と重なる部分がある。ロシア・アヴァンギャルドの担い手たちにとって「ブイト」は凝り固まった現状、変化のない現在、すなわち「ここ」であり、彼らの目指した新しい価値や世界は「ここではないどこか」だったはずだからだ。

中島は「楽園」には4つのアプローチがあると述べている。

1つ目は空間的な他所へのアプローチである。この空間的な「ここではないどこか」を志向する感情は大航海時代やアメリカ大陸の西部開拓の精神と呼応するものがある。このような他所への憧れは自分が今いる場所への否定によって物理的に異なる場所へ絶えず移動することを強いるためだ。

2つ目と3つ目は時間的な他所へのアプローチである。未来において現在よりも良い世界が訪れるという確信や希望に基づいてそのときを待つ、あるいはその「良い世界」へ到達するため何らかの行動を起こすというアプローチ。もしくは過去の原始社会などに「理想の世界」を重ねそこへの立ち返りを目指すという場合もある。いずれにせよ両者は「ここ」である現在を否定し時間的に離れた「どこか」を志向する。

4つ目は「ここ」がすでに「楽園」であるというアプローチである。私たちは「ここ」がすでに目指すべき「どこか」であることに気づいていないだけであるとするものである。

以上が中島の挙げる「楽園」・「ここではないどこか」へのアプローチである。このうち2つ目と3つ目のアプローチ、すなわち時間的な「ここではないどこか」として「未来」と「過去」を志向する態度はロシア・アヴァンギャルドが持っていたベクトルに重なる。

この点から、ロシア・アヴァンギャルドの原動力となったもの、そしてそのベクトルには一種の普遍性があり一過性のもではないことがわかる。


4. ロシア・アヴァンギャルドは何に敗北したのか

ロシア・アヴァンギャルドは1930年代にかけて終焉してゆく。その終焉の意味するものは何だったのだろうか。

ロシア・アヴァンギャルドを代表する詩人であるウラジミル・マヤコフスキイの遺書には次のような書きかけの詩の一節がある。


これでいわゆる
          「一件落着」
    愛の生活は
          ブイトにぶつかり砕け散った。
    ぼくは人生に貸し借りなし、
          かぞえあげるもむだなこと、
    おたがいさまの痛みや
            不幸や
               侮辱を。
どうかいつまでもお幸せに。

[1]p.18

この詩はマヤコフスキイが「ブイト」に敗れた読むこともできる。[1]p.18そして、それはロシア・アヴァンギャルドが「ブイト」に敗れたという解釈も可能にする。1930年のマヤコフスキイの自殺はロシア・アヴァンギャルドの終焉を暗示させる象徴的な出来事でもあるからだ。


ウラジミル・マヤコフスキイ
彼の自殺は「マヤコフスキイ事件」としても知られる

私は「ブイト」への敗北は運命付けられたように感じる。ロシア・アヴァンギャルドが志向した「ここではないどこか」とはまるで逃げ水のように追う者の眼前にちらつきながら決して追いつくことのできないものだからだ。どれほど現在・現状を否定しそこを脱して「どこか」を目指しても私たちがいるのは常に「ここ」なのだ。「ここではないどこか」を目指すということは結局「ここ」からまた別の「ここ」への移動に他ならない。「ブイト」を脱し新しい世界や価値観を取り入れても、いずれそれらは恒常的なものとなり固定化された日常生や惰態性が自ずと生じる。つまり「ブイト」を永遠に脱し続けることはできない。

ロシア・アヴァンギャルドが共鳴したロシア革命を考えてみてもロシア・アヴァンギャルドの終焉は不可避だったように感じられる。ロシア革命後、新しく誕生した体制は新しい秩序を生み出し、国家としての体制を維持することに重きが置かれるようになる。この事実は、革命は永続しないということを意味する。革命は古い秩序から新しい秩序への移行過程に過ぎない。だが移行の束の間、まさに革命の瞬間私たちは単なる新しい秩序を超えた永遠的な世界をみる。それはイデオロギーや言葉が見せる幻影ともいえる「ここではないどこか」である。

ロシア・アヴァンギャルドは行き詰まった世界が崩壊する束の間にみた永遠的な夢へ挑み続けた。永遠の革命を目指した。だが現実には革命は終わり、新しい世界は再び日常に覆われてゆく。ロシア・アヴァンギャルドの夢はそうした現実を超越したところに位置していたがそれゆえ現実に対しアクチュアルな対抗ができなかったのではないだろうか。以上のことから初めからロシア・アヴァンギャルドは自らが否定し脱しようとしていたものに敗北し終焉することが運命付けられていたように思われるのだ。


5. いま、ロシア・アヴァンギャルドについて議論する意義

運動・現象が展開してゆく前に遡りその終焉の予兆を探ることは、全てが終了した現在だからできることだ。当時のものたちがそうした予兆を発見するのは不可能なことだったであろう。ミラン・クンデラの言葉を借りれば当時その只中にいた者たちはみな霧の中にいた。現在の私たちは彼らに対し霧の先が見えなかったことを批判するべきでなはない。


ロシア・アヴァンギャルドが何を求め、何を得て、何に敗北し、どこへ辿り着けなかったのかを知ることは現在への客観的、批判的な視点につながるはずだ。私たちのいる現在はロシア・アヴァンギャルドが目指した世界と時間軸の座標は一致しているが本質は異なる世界である。ロシア・アヴァンギャルドの夢みた世界は私たちのあり得たかもしれない現在であり、現在において彼らの夢を知ることは私たちが決して直接みることのできない並行世界の気配を感じることになる。ロシア・アヴァンギャルドを振り返るとき、私たちは過去を向きながら同時に現在を見ることができる。そのとき可能になる、あり得たかもしれない世界と実際にある世界との比較は、過去に対しどれだけ私たちが応答できているのか、するべきなのかという形をとって私たちが今考えるべきことを差し出す。

現在から過去の夢を眺めることにはそのような価値がある。そうした意味でロシア・アヴァンギャルドを知り、分析し、学ぶことにはいまだに有意義な議論をもたらしうる。


終わりに

今回、桑野隆の『夢見る権利 ロシア・アヴァンギャルド再考』を読み、そこでの議論を参考にしながら、自分なりにロシア・アヴァンギャルドについて考察を行ってみた。今回は抽象的な議論にとどまったが機会があればロシア・アヴァンギャルドの具体的な表現手法についても詳しく調べたい。特に参考資料の中で多く言及されていたバフチンの言語理論やカーニヴァル性、グロテスクなどに関心が湧いた。また、ロシア・アヴァンギャルド以降イデオロギーが形骸化した後の精神性によってどのような芸術が誕生したのか、ソッツ・アートなどから調査してみたい。



参考資料

[1]桑野隆『夢見る権利 ロシア・アヴァンギャルド再考』東京大学出版会,1996年
[2]中島らも『とほほのほ』双葉社,1995年




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