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ボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』から考える「チェコ的」文化の特徴



はじめに

この文章では、20世紀のチェコの文学作品であるボフミル・フラバルの『あまりにも騒がしい孤独』を取り上げ、この作品をチェコを中心とした中央ヨーロッパの文化の流れの中に位置付けることで見えてくる「チェコ的」文化の特徴について考察した。


1. 作品の概要

本書の主人公は、ナチズムからスターリニズムへと移り変わる時代のさなか35年という月日を地下室で故紙や本をプレス機にかけて潰して過ごしてきたハニチャという男である。ハニチャの元へ運ばれてくるのは必ずしも古くなって処分された本ではない。時の権力が発禁にし、廃棄処分にしたものもまた多く運ばれてくる。その中には装丁が美しいものや歴史的にも価値の思われる本も多く含まれる。ハニチャもはじめはそのような本を処分することに「人間性に対する犯罪」を犯したと感じるがやがて慣れてゆき、ときどき見つかる美しい本を救い出し、そこに書かれた美しい文章を読むことを生きがいとし始める。 [ボフミル・フラバル (訳)石川達夫 1976]


小説は、故紙処理係のハニチャの独白と回想、そして彼の周囲の世界が交差する多様なイメージの複雑な組み合わせや連想をともなってアイロニーやメランコリー、なかばグロテスクな陽気さをもって語られる。本書に見られるこれらのような特徴を「チェコ的」文化の流れの中で捉え、わたしのこの作品に対する捉え方を述べていきたい。


2. 著者と作品の背景


ボフミル・フラバル https://cs.wikipedia.org/wiki/Bohumil_Hrabalから引用

作者のボフミル・フラバルは、20世紀後半のチェコ文学を代表する作家である。フラバルは1914年にチェコのモラヴィア地方の町ブルノに生まれ、19年からボヘミア地方の町ヌイムブルクで少年・青年期を過ごしたのち、プラハのカレル大学の法学部で学び、博士号を取得するが卒業後は法律家とはならず、さまざまな職業を経験し、やがて小説家となる。

フラバルの特徴として、自身の造語でpábeníと呼ばれる次から次へと、あるいはダラダラとしゃべり続けるような文体がある。 [飯島周 2012]また、さまざまな出来事がコラージュ的に組み合わされ、隠喩や暗示が多用されるという点、一方で普通の人々のありきたりの生の細部とその非喜劇が題材に選ばれている点。さらに、そこに隠れた小さな奇跡を描こうとする視点がある。その眼差しには、批判や説教的な部分はなく、ただ真実を細やかに語ろうとする愛さえ込められたものであるとされる。 [マルケータ・ブルナ=ゲブハルトヴァー (訳)阿部賢一 2014]

フラバルの生きた時代は『あまりにも騒がしい孤独』で描かれている時代とも重なる。20世紀にチェコ・スロヴァキアはナチズムと共産主義のふたつの支配を経験しており、フラバルもまたその歴史の渦中を生き抜いた。『あまりにも騒がしい孤独』が書かれたのは1970年代、自由化運動に対するソ連の軍事介入後「正常化」と呼ばれる言論や表現の自由が制限された時代であった。本書は当時の全体主義を如実に反映したテーマがうかがえるが、このテキストはそのような文脈におさまりきるものではなく、より深く広い文化的源流から作品を捉える必要があると考えられる。 [石川達夫 2007]

3. 「チェコ的」文化での位置付け

- 「チェコ的文学」

冒頭でも述べたように本書には多様なイメージの複雑な組み合わせや連想、アイロニーやメランコリー、グロテスクで陽気な語りが多用されている。このような特徴はフラバルの文学だけでなく多くのチェコ・中欧文学に見られる。チェコの批評家ヨゼフ・クロトヴォルは「メランコリックなグロテスク」が中欧文学の一つの理想形として想定されるとし、このような中欧文学の代表的な作家として、フランツ・カフカや『兵士シュヴェイクの冒険』などで知られるヤロスラフ・ハシェク、ミラン・クンデラ、そしてボフミル・フラバルを挙げている。「メランコリックなグロテスク」は、様々な異質なものがひしめく窮屈で圧迫された空間に住む中欧人の「ありふれた不条理」の感覚、メランコリーと誇張された陽気さが特徴のメンタリティに支えられているとクロトヴォルは指摘する。 [石川達夫 2007]


先述のようなチェコ・中欧文学に共通する手法としては、「高尚なもの」と「低俗なもの」の境界がやや恣意的に誇張された形で曖昧にされていることや、反転されているという点も挙げられるだろう。『あまりにも騒がしい孤独』の主人公のハニチャは「低い身分」でありながら図らずも身についた教養によって「美しい」文章を堪能することができる。また、「美しい文章」が書かれている本や紙はときに家畜の血で汚れていたり、ネズミが巣食っていたりしている「汚い」ものである。

このような手法は、大きな物語の中では覆い隠されてしまう現実の曖昧さ複雑さや不条理を屈折した視点で、受け身を取るように描き出すことを可能にしているように感じられる。


- チェコ語文化の歴史的背景

ではこのような「チェコ的」文化の伝統はどのように育まれたのだろうか。翻訳者の石川達夫は本書の解説的な位置付けである文章『ソロモンの印―ボフミル・フラバルと『あまりにも騒がしい孤独』』でチェコの「平民的」文化を、本書を語る際に考慮すべき点の一つとして挙げている。 [石川達夫 2007]

チェコには、30年戦争の際、多くのプロテスタント系のチェコ人聖職者や貴族、市民が一掃された上にドイツ化が進んだためチェコ語文化は主に農民と下層市民で構成されるようになったという歴史的背景がある。こうしたことからチェコにはほかの中欧と異なる「平民的伝統」が根強くあると石川は指摘する。こうした指摘は19世紀以降に誕生したネイションという概念によって遡及的に生み出された可能性も否めないように思われるが、「チェコ的」文化を形成した一因として考えることが可能かもしれない。


- 「平民的伝統」がもたらす文学的影響

チェコ語コミュニティのあった地域は30年戦争の後、神聖ローマ帝国に取り込まれ第一次世界大戦後まで大国の歴史の陰に埋もれてしまう。 [薩摩秀登 2021]この歴史の陰に「様々な異質なものがひしめく窮屈で圧迫された空間」が形成され、不完全な世界や日常の不条理を生き抜く中で人々に直接的に問題を言及せずアイロニーによって浮かび上がらせる独自のメンタリティ育まれてきたのではないだろうか。

また、こうした歴史的背景は、フラバルの文学に特徴的な、善と悪の二項対立に否定的で、あらゆる日常の生への慈悲と皮肉に満ちた語りを生んだ土壌としても捉えられるのではないか。大きな歴史やイデオロギーに翻弄されてきた文化は、世界が単純な言説によって分割不可能な複雑さと曖昧さを持っていることに対し自覚的であるはずだからである。


4. まとめ

- 『あまりにも騒がしい孤独』が示すチェコ文学の特徴

ボフミル・フラバルの『あまりにも騒がしい孤独』は「平民的伝統」を受け継ぐメランコリーと誇張された陽気さに満ちている。ここで描かれているのは20世紀に限られる全体主義への批判だけでない。本書は、ある種の「チェコ的」・「中欧的」メンタリティが現代においても暴力的な単純化に屈することなく、不条理な世界を慈悲とアイロニーを持って生き抜くすべとなったことの証言なのではないだろうか。


おわりに

今回は論じなかったが、ボフミル・フラバルを語る上でシュルレアリスムという文脈も重要になってくる。フラバルはシュルレアリストたちとの交流はあったものの、自身はシュルレアリスムからは距離を置いていたとされる。 [石川達夫 2007]

わたしは、かつてチェコスロヴァキアのシュルレアリスムに惹かれていたが、同時にシュルレアリストが、ときに実験性ばかりを重視し、芸術論に明け暮れ、その結果、作品が我々の人生から乖離する傾向があるように感じられることがあった。また、近年においてもシュルレアリスム的作品を見かけることは多いが、それらは過去の作品のシミュレーションのように中身のない空虚な「それっぽい」作品にしか感じられないことが多い。

しかし、フラバルの作品は、シュルレアリスム的手法、(コラージュ、イメージの連想)を多用していながら。わたしたちの人生と完全に乖離していない部分で確かな感動をもたらしてくれる。フラバルがシュルレアリスムから距離を置いた理由は、彼が理論や手法よりも何を書くかを重視していたからではないか。理論や手法以上に何を書くかを大切にしている姿勢がフラバルの文章からは伝わってくる。何をテキストで描くかその照準を外さずに大胆な手法を選択し使いこなせる点がわたしにとってフラバルの最大の魅力である。彼が学位をとっていながら法律家の道に進まず、普通の人々にまざって仕事することを選んだこと、題材にありふれた人々を選んだこと [マルケータ・ブルナ=ゲブハルトヴァー (訳)阿部賢一 2014]はフラバルが世界というものの本質を平凡な生活の中に見出していたことのあらわれではないだろうか。このことは、ときに言説ばかりが尊いものとされる学問や文学の世界に対し憧れを感じると同時に疑問を抱いてしまうわたしにとって非常に共感の持てることである。

このようにフラバルを捉えてみると「チェコ的」・「中欧的」文化に精神的、思想的、哲学的な普遍と一回的な現実や日常というものを交互に行き来し、繋ぎ止める可能性も見出すことができるのかもしれない。


文献目録

ボフミル・フラバル (訳)石川達夫. 1976. あまりにも騒がしい孤独. 松籟社.
マルケータ・ブルナ=ゲブハルトヴァー (訳)阿部賢一. 2014. “ピプスィから見たフラバル、フラバルから見たピプスィ.” 「ボ フミル・フラバル生誕百周年記念シンポジウム」講演記録.
薩摩秀登. 2021. 図説 チェコとスロヴァキアの歴史. 河出書房.
石川達夫. 2007. “ソロモンの印ーボフミル・フラバルと『あまりにも騒がしい孤独』.” 著: 『あまりにも騒がしい孤独』, 脚本: ボフミル・フラバル. 松籟社.
飯島周. 2012. “解説.” 著: 厳重に監視された列車, 脚本: ボフミル・フラバル. 松籟社.


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