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ザンビアに行った日


永遠の万華鏡がある。光は上下左右に三次元的な曲線を描いて広がり、緑の中からピンクが、ピンクの中から黄色が生まれる。正面にあるのは、水の入ったグラス。それは遠くにあると同時に近くにある。グラスのふちの円形にこの世に存在したあらゆる「美」そのものが顕在していることに気がつく。意識は、液状のガラスの表面を滑るように明晰でありながら、複数の場所に同時に存在していて、すでに時間を超越している。目の前に巨大化した自分の足が迫る。もはや大小の感覚すら存在しない。存在しないと同時に存在する。大きいと同時に小さく、小さいと同時に大きい。遠いと同時に近く、近いと同時に遠い。速さと遅さ、あらゆる二項対立を超えて全てが同時に存在しうる場所、時間。全ては、あまりにも簡単で自由だったことに気がつく。感覚、特に聴覚と視覚と触覚が互いに強く影響し合う。五感のダイヤルを誰かが限界まで回して、コードをメチャクチャに繋いだみたいだ。音に合わせて光の渦が訪れ、意識によってその全てがコントロールできる。無限に上昇することを望むとすでに頭上でピンク色の門が開かれ、浮遊が始まる。門は、ずっと目の前にありくぐることはできない。その実態に辿り着くこともない。それゆえ、これは永遠の上昇だった。吐く呼吸によって体から、黒い球体が黄色と青の光の渦に投げ出される。

帰りたいと、考えてはいけない。しかるべき時にここを離れることになるが、帰りたいという意志による帰還は許されない。したがって、帰りたいという願いが聞き入れられないことを知ることになり、あせり始める。帰ることを願えば願うほど、それは難しくなる。身を時間に委ねなければならい。心の片隅で永遠の下降を望めばそれもまた、意識に上る前に叶えられ全てが同時に存在することの苦しさが見え始める。それは、沼に溺れるような体験だ。もといた場所を覚えているのにすでにそこの住人ではない悲しさを味わうことになる。


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