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現代はすごいことが陳腐化した時代なんだな!

こんにちは、サカモトです。

なんだか時が経つのがどんどん早くなっている気がしますが、気のせいですかね。この間12月になったと思ったら、もう12月も半ばですよ。

この調子だと、12月も終わって、2023年から2024年になってしまうなと感じる今日この頃です。

毎日投稿をやめて、あくせくしないゆったりとした生活を、と思っていたら、全然そんなことはなく、投稿した、しばらくゆったりしよう、としていたら、あっという間に次の投稿日、という生活を送っています。

さて、本題です。先日この本を読みました。「1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀」です。

実は年齢がバレてしまうと嫌なのですが、僕は1974年生まれなのですね。この作者の1年後の生まれです。

この本は生まれた時から、と言っても生まれてすぐは記憶がないので、物心ついた頃から、作者の体験談を踏まえつつ、日本で何があったかについて約50年を振り返ると言うものです。1970年代の後半から2010年ごろまでをざっと振り返るというものです。

1年しか違わないので、作者とほぼ同時代を生きているのですが、なにせ小学生の頃は、ほとんど新聞やニュースなどを見ない子どもだったので、その頃のことはあまり覚えていません。小中学生時代は同じ時代を生きていたとは思えませんでした。何をしていたんだろうか。

高校生ぐらいから、そうそうこんなことあったなと共感できることが増えてきました。

その中で、コードレスホンの話が出てくる。1990年の雑誌「POPEYE」を見ていたら、やたらとコードレスホンの広告が出てきたそうです。

当時、コードレスホンは高嶺の花の存在で、中々手に入れることができない、そんな存在。広告に使われたというからには、しばらくその状態が続いたということでしょう。

これって、高嶺の花の存在がしばらく長く続いたということでしょう。すごいことがすごいまましばらく続いたということではないかと。

これを現代に置き換えると、例えば最新型のiPhoneとかかなと。確かに最新型のiPhoneは高いし、手に入れることをためらう存在でしょう。でも、とんでもなく手に入れることが難しいわけでもないかなと。

そして、最新型のiPhoneを持っていたからといって別にドヤれるわけではない。さらに、発売された瞬間に陳腐化は始まり、あまり話題さえ上らなくなり、1年後にはもう新しいバージョンが発売されるという目苦しい事態となっています。

1990年当時はコードレスホンは持っていたら、ドヤれる存在だったんじゃないかな、知らんけど。すごいものはすごいねとしばらく言える時代があった気がするんですよね。

藤井聡太が八冠独占すごいと言っていたら、今度は大谷の契約金1000億円すごいとかの話が出てしまいます。そして、きっと、またすごい話が出てくるんでしょう。

現代はすごいのオンパレードの時代で、すごいが陳腐化しましたよね。もっとすごいことをしばらく味わう、そんなことが必要なのかもねと思った話でした。


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