見出し画像

今、この世界に必要なのは利他主義

 本日(2020年6月11日)の日本経済新聞に、フランスの経済学者・思想家ジャック・アタリ氏の利他主義に言及した論考が掲載されている。

「明日の世界の支配者は」(ジャック・アタリ氏)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO60199640Q0A610C2TCT000/

 「自然も世界の真の支配者になりうる。今回のパンデミックで、人類の支配は、見せかけにすぎないことがわかった。気候変動の脅威から生き残りたいなら、人類は人知を超えたルールに従わなければならない。」

 「生き残りを望むなら、利己主義ではなく、利他主義が自身の利益になることを意識すべきだろう。現在と未来の人々を含めた、生きとし生けるものへの利他主義を実践すれば、人類は感動に満ちた冒険を堪能できるはずだ。」

 欧州復興開発銀行総裁も務めた経済学者のアタリ氏が、今、利他主義への転換を呼び掛け、ポジティブに社会の行方を展望している。アタリ氏は、「緊急対談 パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~」でも次のように語っている。「利他主義とは、他者の利益のために全てを犠牲にすることではなく、他者を守ることこそが、我が身を守ことであり、家族、コミュニティ、国家、そして人類の利益にも繋がる。」(NHK: 4月11日)

 6月2日には、アタリ氏は自身のHPに以下の論考を発表した。
Altruists By Choice or By Force」 Jacques Attalie
http://www.attali.com/en/geopolitics/altruists-by-choice-or-by-force/

 ユダヤの立法、聖書、スピノザ、そして、アダムスミスの国富論にも言及しながら利他主義を説いている。

“a society can only be truly successful if its members show altruism; and altruism can only exist between people who are aware of a common destiny.”

 コロナ禍の今、世界は覇権争いではなく、運命共同体として利他主義で生きることが第一だ。私自身は、利他主義について20年以上も研究してきた。「利他」とは、読んで字のごとく、自己の利益ではなく他者の利益になる行為である。利他主義は、英語では、アルトルイズム (altruism)と言う。19世紀のフランスの社会学者、オギュースト・コント(1798-1857)による造語だが、利他主義に関係する人間の心と行いについては、人類の歴史において古くから論じられてきた。そこには大きく分けて3つの見解が存在する。人間性悪説、人間性善説、そのどちらでもないとする3つの見方である。

 人間性悪説はマキャベリやホッブズなどの社会思想の出発点となっている。人間は生まれながらにして自己中心的で、ルールがなければ自己の利益のために悪さをもするという考え方である。反対に孟子に代表される人間性善説は、人間は本来的には善なるものであるという考え方だ。そして、第3の考え方は、環境によって人間は善人にもなれば、悪人にもなるというものである。20世紀末からの研究は、利他主義は社会生活によって学ぶことができるという第3の考え方をベースにした結果を数多く提示している。

 利他主義、社会貢献に取り組む人がいる一方で、自分の利益しか考えない人がいる。この国で収益を上げながら税金を逃れようと海外に拠点を移す企業や資産家がいる。消費者の安全をないがしろにして利潤を上げ、それを隠蔽する企業がある。人びとの「思いやり」の度合いに格差が生じているという実感から、私は、2008年、『思いやり格差が日本をダメにする』という本を上梓し、「思いやり格差」社会へ向かいつつある社会に警鐘を鳴らし、「思いやり」の心を育て、「支え合う社会」の構築のためのアプローチを提案した。

 社会の分断化、人間関係の希薄化、事実を偽って自己の利益のみを考える社会の風潮、拝金主義、このような社会に不安を抱いている人も多い。しかし、果たして、支え合う利他的な社会、共生社会を構築することは可能なのか。

 利他主義、思いやりの心、思いやり行動は、崇高な理念に支えられた特別な人だけに備わった特異なものではなく、ある環境において誰にでも陶冶され、身につくものだ。強制されるのではなく、ポジティブにわき上がってくる思いやりの心と思いやり行動こそが、さまざまな問題を抱える現代社会を支え合う利他的な共生社会へと導くコミュニティの原動力になる。「世の中はもっと厳しい」と批判されるのを承知で、共感、思いやり、そういった私たちのもつ内なる力を信じたい。そして、自分の子どもたち、次の世代が「思いやりのある共生社会」で生きられるよう、親として大人として、今できることをしようと思って実践している。

 少子高齢、地方の過疎、災害の頻発、子どもの貧困、感染症、様々な差別、諸難題を抱える社会にあって、同時代的にさらには世代を超えて誰もが人間としての尊厳を持ち、さまざまな困難に立ち向かえるレジリエントな共生社会の構築が望まれている。

 思いやり(利他主義)、共生、社会貢献といったものは、さまざまな所に標語のように掲げられている。しかし、言葉だけを発信しても結局、人は変わらない。一つには、さまざまな共同作業を通して、人びとが互いの価値観の衝突を乗り越える経験をすることが大事だ。仲良しグループの中だけで、予定調和的に顔色をうかがいながら表面的に仲良くしていたのでは、心の底から相手を尊敬し、相手の立場を思いやることはできない。そこからは本当の意味での利他的な行動は生まれない。私は「価値観の衝突は心の栄養剤」と言っている。

 理想主義と揶揄されようが、すぐに成果が見られなくとも粘り強く継続する姿勢が大切なのではないか。支えあう利他的な社会、共生社会にむけて、いま居る場での自分なりの社会貢献が求められている。日々の営みのなかで小さな実践を積み重ねようという一人ひとりの意識によって、社会も変わっていく。

 この世界に変化を望むなら、自分がそのように変わらなくてはならない
                    
(マハトマ・ガンジー)

 社会に何か問題があり、変化を望むなら、まず自分が動き、関わっていかなければいけない。私もそのように実践したいと、自らの足りなさに涙しながら研究実践を続けている。

参考:稲場圭信著『利他主義と宗教』弘文堂


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?