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だから優秀な若手エースが辞めていく。「古い文化の職場」で起きている1つのことを見て「考える力」を鍛える
日本最大級の食品メーカー「味の素」はなぜ生まれ変われたのかー。
今回も、引用した記事を元に「自分事にしていく訓練」をしていきたい。
この方法を通じて、参加者(読者)は記事に書かれた具体的なビジネス内容やマーケティング戦略、マネジメント論などの知見を得ながら、現場で実際に結果を出している著名人や有識者たちの経験をアナロジー思考によって自分ごとに変換していく。
自分の活動に当てはめて考えることで、考える力を鍛えることができる。考える力には様々な要素が複合的に関連づけられているが、この訓練は特にアナロジー思考を効果的に鍛えていくために行う。
(中略)しかし、自分としては経験を積むにつれて、ある悩みを持つようになりました。
それは、次世代を担う若い人財も自分と同じように、社内でのキャリアが固定化されていることに違和感を感じてしまうのではないかという悩みです。
(中略)入社時には、ある程度自分の最高到達点がわかってしまう状況にあったのです。
もちろん、時代とともにそれは変化していきましたが、その時点においては、それが当たり前のことでした。こういった状況では、出世ルートに乗れた人はいいですが、その裏側では日陰者を生んでしまいます。
要するに「頑張ったところで、自分の活躍できる幅は狭い」と感じてしまう人がいるのです。せっかく味の素を選んでくれた優秀な人財が、このような理由で、自分のキャリアを諦め、腐ってしまうのは非常にもったいないと私は感じていました。
一般的によくある話だが、あなたはこれを見て自分自身の活動にどのように当てはめるだろうか?
まず、「味の素」を「自分の活動名」に脳内変換しながら読む。
「次世代」を「後輩」「メンバー」「新入生」など自分の活動に際して、あなたよりもその活動に関わる日が浅い人や新しい人に脳内変換し、その人たちの顔を思い浮かべたりながら読む。
「出世ルート」をあなたの活動の中で「〇〇優勝」「〇〇合格」「〇〇成功」など、優れた業績や成果に繋がるように脳内変換しながら読む。
このようにして、再度巻き戻って読んでみよう。
しかし、堀埜氏は、当時は硬直的な人事諸制度と運用を続けていた味の素の経営に「夢」を感じられなくなり、その後、味の素をやめてしまいました。のちに社長になるような人物が会社をやめてしまうのは、どう説明してもいい人事制度、運用とは言えません。
それほどまでに、当時の味の素に根づく空気感は澱んだものになっていたのです。とはいえ、そういった優秀な人財が会社を去っていくなか、私は味の素をやめる気はまったくありませんでした。なぜなら、自分が感じた組織への違和感を解消し、次世代の人財を育成することこそ、自分の役割なのではないかと考えていたからです。(中略)
ここの箇所はどうだろうか?
例えば「優秀な△△氏は、当時は硬直的なメンバーの育成制度と運用を続けていた〇〇活動の運営に「夢」を感じられなくなり、その後、〇〇活動をやめてしまいました。△△氏は、のちに別のジャンルで成功者になるような人物が〇〇活動をやめてしまうのは、」などというふうに脳内変換しながら読んでみよう。
そんな困難がありながらも、私はなんとか室長になることができました。室長になった私が最初に取り組んだことはキャリア面接でした。
この面接の目的は研究テーマや能力だけで社員を判断するのではなく、人物そのもののキャリア形成を支援することでした。
ここの箇所はいかがだろうか?
上記してきたように、自分自身と類似する要素を自分自身の活動に使用するキーワードに変換して考えてみていただきたい。
「キャリア面接」というキーワードは「理想とする将来像も含めて長期的な視点で考えていくものを一緒に考えていく」というふうにも変更できる。
では、2つの要素に分解してみよう。
「キャリア」とは
辞書的には「履歴、進路」「職業 職位」を指すが、日本ではもっと広くカジュアルな用語として用いる。
最近は、就職・出世・現在の仕事等の点や結果を指す言葉ではなく、活動に関わる「継続的なプロセス(過程)」とか、活動にまつわる「生き方」なども包括的に表現されるが、「未来」という事が共通している。
よって、キャリアという言葉にとらわれずに、「将来」とか「長期的」とかいうふうに入れ替えてみて、あなたの活動にピッタリな表現をそこに当てはめてみよう。
「面接」とは
「能力や経歴、人柄などを調べるために直接その人にあうこと」指すことが多いだろう。日本ではもっと仕事のための面接やオーディションなどで用いる言葉としてイメージが定着しているはずだが、「直接話す」という事が共通点だ。
記事の文脈上もあれこれ一方的に聞く面接ではなく、将来の変革のために直接対話するということをされている。これらは組織の変革に必要な事の一つと言えるだろう。
こうして要素を分解して共通項を見出して自分ごとに当てはめると、いろんな見え方ができるはずだ。
よって「理想とする将来像も含めて長期的な視点で考えていくものを一緒に考えていく対話」というふうにも変更できる。
人物そのもののキャリア形成を支援するメリットは、主に2つあります。
1 社員のポテンシャルを引き出す機会になる
能力や経歴だけで社員を判断してしまう行為は、社員の成長に蓋をしてしまうことと同義です。仮に社員が「やってみたいこと」や「挑戦したいこと」を持っていたとしても、「経験がないから」という理由でその道を閉ざしてしまう可能性があります。
同時に、経験がないことにもチャレンジしてもらうことで、新しい才能が花開く可能性は大いにあり、個人にとっても組織にとってもメリットが非常に大きいです。
2 社員が自発的に行動できるようになる
能力だけで社員を判断してしまう組織では、社員はできることがほとんどなく、ただ会社に言われたままのキャリアを歩むしかありません。それでは社員は自発的に行動することに意味を見出せず、やがて会社からの指示を待つだけの歯車になってしまいます。
もう少し踏み込んで言えば、社員側は会社の言うことを聞いていれば安定した生活は送れるわけですから、積極性を持たずとも別にいいわけです。
どんなに優秀な人財が揃っていたとしてもこれでは組織の成長はありえません。
自分が研究室長になったからには、入社時のルートや能力だけで社員を判断しない組織をつくろうと考え、社員一人ひとりが自分のキャリアと向き合うきっかけを持てるようにしました。
また、その思いは私が副社長になったときも変わらず、キャリアについて同じように考えていた西井孝明社長(当時)と固定化された人事制度を撤廃し、それぞれの素晴らしい人財が、伸び伸びと成長できる人事制度をつくることができました。
この箇所は自分自身の活動に対してヒントとして捉える事ができるかもしれない。「社員」とか「人事」とかいう言葉にとらわれずに、そこから自分にピッタリなニュアンスを見出して、自分なりの文章に変容させてみよう。
日本企業は、もっと「夢」を持つべきだと考えています。(中略)その一方で、実は味の素の一部の職場では、世間同様に入社3年目までの離職率が高まっており、問題になっています。
なぜ、就職希望ランキングの高い企業に入っても配属先によっては、すぐやめてしまうのでしょうか? (中略)
ここでは会社というスケールは40年を基準としている。
ここでは、
3年で退職するわけだから、40年のうち3年で辞める場合、そのパーセンテージを計算するには、3年を40年で割った値に100を掛ける。数式で表すと以下のようになる。
3/40×100 = 7.5%
つまり、40年のうち3年で辞めると、全体の7.5%の期間を勤めたことになる。よって、あなたの活動の全体の7.5%にあたる期間で辞めていく人たちの割合を指していると考えてもよい。
夢の視線が近視眼的であれば、いろいろな雑物が気になり、それにとらわれてしまいます。これは、人間の1つの特性だと思うのです。しかし、遠くを見つめて歩いていけば、雑物も気になりません。実際、混雑した駅周辺で、人にぶつからないで歩くベストの方法は、遠くに視線を据えて歩いていくことです。
私の思うような夢が、若者に通用する時代ではないかもしれません。しかし、若者は世の中を変えていく存在で、未来の選択権は常に若者にあります。日本の経営者、特に伝統企業の経営者は、この30年間、若者に夢を見させるような経営をやってきたでしょうか?
いつも、近視眼的な雑物のような目標を突きつけてきませんでしたか?
そうだとすると、反省すべきでしょう。味の素が大いに反省しなければならなかったのは、実はこの点なのです。
ここは、経営者としての自己を律する考え方の一つが書かれている。自分自身の考え方の参考にするもよし、自分自身の立場に落とし込む方法や、自分自身の立場には合わない考え方の場合、他者理解に努めるような類推の仕方もある。
企業を変えるのは、ワカモノ、バカモノ、ヨソモノであると一橋大学ビジネススクール客員教授の名和先生は言います。
ですが、そのためには、これらの人たちを惹きつけてやまない夢を与え続けなければなりません。それが、経営者の最大の責任であるように思います。
ここでは、
・ワカモノは誰か
・バカモノは誰か
・ヨソノモは誰か
を考えてみよう。
大抵はワカモノ=新入りや自分よりも若い人であり、バカモノとはあなたの活動に主体的にのめり込んでいる真剣な人を表し、ヨソモノとは「馬鹿者」協力してくれる人を指す。
私も昔は「筋肉馬鹿」というアダ名で呼ばれていた。これは何も蔑視する言葉ではなかったようで、ある種の尊敬が込められていた愛称のようなものだった。要するに、他人が真似できないような事や他人がやらないような事を突き詰めてやってしまえる人のことである。そして、そんなバカモノには大抵ヨソノモである協力者が現れるものである。
逆に、これからの時代をつくる若者たちに伝えたいのは「夢を見る力」です。逆境のなかでも、「夢を捨てない勇気」を持ちましょう。現実のビジネスの世界では、答えは教科書には書かれていませんし、スマートフォンで検索しても見つかりません。自分で答えを探すしか方法はないのです。
ただし、1人で探す必要はありません。志をともにし、夢を共有する仲間たちが、必ず現れます。出会いは偶然に、突然にと言いますが、夢さえ捨てなければ、チャンスとともにいい出会いが必ず訪れます。
ここで最後の箇所だったが、今回の記事の趣旨は掴んでいただけただろうか?
ぜひ、他の記事を読むときも、
このようにアナロジー思考によって自分ごとに変換してみましょう。
記事内容を自分の活動に当てはめて考えることで、考える力の中でも特にアナロジー思考を効果的に鍛えることができるはずだ。
このようにして鍛えた考える力を用いて、技術鍛錬と身体鍛錬に応用を加えていく。
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