はじめに

2023/12/24 正午、この筆を取っている。
とはいえ、ディズニーのクリスマスソングを聴きながら、妻と娘(4ヶ月)と一緒の居間で、スマホ片手に寝そべりながらの執筆である。
贔屓にしている個人料理店の「クリスマス肉プレート」とKALDIで買った「ピュアポム スパークリングホワイトグレープジュース」で昼からホームパーティーをして、心も身体も満たされた昼時に、暖かい部屋で妻子と共に穏やかな時間を過ごした。とても満ち足りた気分である。

今私は31歳。公立高校で物理を教えることで、給料を貰い、上に書いたような平和で楽しい日々を過ごさせて貰っている。高校や大学の仲間達の殆どは出世街道をまっしぐらに突き進み、私の何倍もの給料を稼いでいるようである。そちらの方が社会的に一般に認識される「成功」の形に違い生き方なのだろう。ただ、そうであったとしても、そのことは私が「私の人生を幸せだと感じること」を否定しなくてはならない理由にはならない。
築30年以上の教職員向けの県営社宅で、決して自慢できるような家ではないのかもしれないが、住めば都、とても快適で気に入っている。

ここまで駄文を書き連ねたのはいいものの、そこから思うように筆が進まなくなり、気が付けばもう年の瀬、大晦日の夜である。なんとか今年中にこの「はじめに」を書き終えたい。その一心で、「折角ならなるべく面白く書きたい」というなけなしのプライドすら捨てて、iPhone15 proに向き合っている。(それでも悲しいかな、執筆を終えた今はもう年を越してしまった。)

漸く本題に移ろう。なぜnoteをはじめたのか。

簡単に言えば、自分に今足りていない力を培うためである。

振り返ってみると、何かアイデアは思いついたのだが、それがアイデアのままで終わってしまうことの多いこと。見て見ぬふりをしてきたが、実はこのことは以前から気がかりだった。

気になっていたにも関わらず、何故改善出来ないのか。自分なりに分析した結果は、お粗末なものを世に出して周囲から悪い評価を受けたくない、という感情が大きな枷になっているからだという結論に至った。

時間をかければそれなりのものは作れる。しかし時間は有限である。何でもかんでも時間をかけてはいられない。取捨選択が必要である。

とりあえず前に駒を進めてみる。不格好でも良い。周囲からの評価が低くても良い。「とりあえず前に進む力」が今私に最も足りていないものだと思う。

「折角やるならいいものにしたい」
これは小さい頃から私がずっと思ってきたことである。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、おそらくこの性分は墓までついてくるものだろう。そしてその心意気自体は私は気に入ってもいる。

だからやり方を変えてみよう、というのが今年の試みである。正しいかは分からないが、アジャイル式という言葉が正しいのだろうか。今まではきちんと調べた上で、石橋を叩いて渡るのが常だった訳だが、まず渡ってみよう。やばければ2回目で対策しよう。

とりあえず一回渡ろう。

ということである。
だんだんとこの記事の中でも、最初と比べて最後の方の文章は荒くなっているような気がするが、おそらくそれは半分以上自己満足によるもので、前半の方が時間をかけて書いている分、良いものになっているはずだという一種の酔狂なのだという気もしている。

もし気に入らなければ後から書き直せば良い。
次に前の自分を乗り越えていけば良い。

このマインドで心理的安全性を保ちながら、

とりあえずやってみて、次に繋げて成長していく。

この、実行という点を令和6年のテーマとしたい。

さて、将来の自分がこのnoteを見返した時、

①「最初は大見栄を切った割にすぐにだめになっているなぁ」と笑いものになるか

②「意外にここからコツコツ続けて様になってきたなぁ」となるか

③はたまた全然予想もしないことになっていくか

これからの楽しみがまた1つ増えた。

やはりこれだけでも、とりあえずやってみてよかったかな、と思っている。

これから頑張ってみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?