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売らねーしの館、ふたたび。

 今年の夏は、実に奇妙だった。

 去年の今ごろは、来年の夏には(つまり今年の夏には)さすがに終息しているだろう、と(今にして思えばさしたる根拠もなく)思っていた新型コロナウイルス感染が一向に収まらず、それどころかIOC、都、政府が、7割の国民の反対の意思表示にも関わらず開催したオリンピックと並行して、春に一旦落ち着きかけていたコロナウイルスの感染爆発が起きていた。毎日まいにち、一週前の同じ曜日の感染者数を上回る新規感染者の発表があり、医療現場のひっ迫の様子が報じられたが、次の瞬間にはテレビに日本選手の活躍が映し出され、アスリートの命運に一喜一憂してしまう自分がいた。その間もTwitterでは、穏健な意見から罵詈雑言まで雑多なツイート、様々なメディアからのリツイートが溢れ、著名人から無名・匿名までてんでんばらばらな発言が飛び交っていた。

売らねーしの館2021カシワテラス


 この度の「売らねーしの館」は、柏駅東口ダブルデッキに設置されたカシワテラス内の小部屋であるインフォハウスにおいて、7/28から8/25までの毎週水曜日、計五日間、夕方の17時から20時までの3時間3枠、ひとり当たり45分、料金500円ということで募集し、行われた。申し込みにはAirRESERVEというサービスを使った。全15枠のうち、申し込みは最終的に14枠埋まった。1枠だけキャンセル待ちが出たが、キャンセル自体は出なかった。埋まらなかったのは最終日の3枠目、つまり8月25日の19時からの最後の45分間だけだった。
 オリンピックは7/23から8/8だったから、売らねーしの館はオリンピックの最中に始めて、オリンピックが(あっけなく)終わったあと、8/11、18、25と続けて終えたことになる。

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(UDC2 ストリートパーティー)

 ところで、「売らねーしの館」という企画は、柏アーバンデザインセンターUDC2の企画するストリートパーティーという道あそびの企画との関わりの中から始まっている。

 ストリートパーティー(以下ストパ)は2017年から始まった。基本年に4回、季節ごとに行っていた。主催はUDC2だが、運営は公募の市民を中心に委員会を立ち上げて行っていた。
 ぼくはストパに最初は関わっていなかった。ただ、2回目か3回目くらいから、開催には気がついていて、何だか面白そうなことを始めたなぁと見ていた感じ。JR柏駅周辺は、子どもや高齢者の居場所がない、安全にあそべる場所がない、等の課題があり、その解決策のひとつとしてロンドンのストリートプレイを参考にすることで始めたという。地元商店会や地権者等の協力を得て開催していた(2020年1月を最後にコロナ禍で中断)。


 何を思ったのか(覚えていないのだが)2019年1月の第7回ストパから公募の実行委員に手を上げた。ストパの場合、当日に向けて企画運営会議を2〜3回開催する。いくつか案を出した。そして「占いの館」を友人の福島さんにやってもらった。福島さんはもともと、カードなどを使った占いを、今は亡きコミュニティカフェのYol Cafe Frosch(懐かしいな)で定期的に行っていた。

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占いの館の福島さん(2019年1月、ストパ)

 つまり当初、ストパの占いについては、自分でやろうなどとは思わず、企画と裏方をしていただけだった。でも、自分の企画にお客さんが来てくれたのに味をしめたのか(?)、それ以来毎回ストパの公募スタッフに手を上げるようになり、同年4月の第8回ではストリート図書館と自作の紙芝居の企画を担当した。実は初めて実行委員として参加した1月のストパのあと、同年2月ころにお話を頂いて、4月の第8回のストパは週二日程度の非常勤ながらUDC2のスタッフになった直後だった。いつの間にか立場は変わっていた。

 ストパの企画としての「占いの館」は、第7回に福島さんにして頂いた以降は行わずにいたが、2020年1月開催、つまり1年後の第12回の打ち合わせの時に、また占いの館をやったら? という案が出て、しかし実は福島さんはその一年の間に鎌倉に転居されてしまっていたという事情があって、だから出来ないんですよ、と説明しつつ、その後突如、「だったらぼくが自分でやろうかな」と思いついて……という経緯があった。
 つまり、結局自分で手を上げてはいるのだった。まったく経験もないのに。

 どうしたもんだか。

売らねーし

(2020年1月のストパ、売らねーしの館)

 この時初めて、照れ隠しで「売らねーし」などと名乗ったのだった。
 まあ、単なるおやじギャグだといえばその通り。ただ、その売らねーしの館は、案外に人気を博した。

 実行委員会でご一緒した松清さんがインディアンのテントみたいに(実は防災テントなのだが)つくってくれた黄色い館の内部に机と椅子を置き、占い師みたいな扮装をお借りして籠もった。かなり怪しげだ。とは言え、ストパの一環だから、と言うことが大きかったのだろう。如何に促成の売らねーしとは言え、知らない人から見ればそれなりに占い師に見えたのかも知れない、行列が出来たのだ。その行列はなかなか途切れず、結局半日ずっとそのテントに籠もって「売らねーし」をやり続けることになった。正直、結構疲れた。ただ、不思議な充実感に近いものもあったような気がした。

 ただ、ぼくがやったのは、いったいなんだったのだろうか。

 なんだか、不謹慎な言い方かもしれないが、自分でもよくわからないところがあったのだ。何らかの手応えのようなものは確かにあった。ただ、それはうまく言葉には出来ないようなものだった。

 その時に、ぼくが手探りで行ったことは、もちろん占いではなかった。そもそも、ぼくには占いは出来ない。そもそも、占いをしてもらった記憶がほとんどない。

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(2021年7月〜8月、カシワテラスの夕活で、売らねーしふたたび。)

『いわゆる「占い」ではありません。
 ただカードを数枚引いて頂き、そのカードを一緒に読み、
 カードが表すコンステレーション(星座、布置)を共に味わいます。
 それが「売らねーしの館」です。
 7月28日から8月25日まで、毎週水曜日のそれぞれ17時、18時、19時からの45分間、三つの枠を設けます(五日間、合計15枠)。一枠にご予約頂けるのは一人だけです。
 売らねーしの館では、いわゆるオラクルカードと呼ばれる種類の奇麗なカードを用います。そのカードを1枚ずつ引いて頂き、出たカードに書かれた絵や言葉を一緒に味わわせて頂きます。
 別に運命を占ったりはしません。というか、出来ない。
 そのカードを見て、読んで、感じたことをお聞かせ頂ければと思います。
 売らねーしは、耳を澄まします。何か言うかもしれません。言わないかもしれない。
 それだけでしょうか。それだけかも知れません。
 だとしても、夏の日の夕方、お待ちしています。』

 申し込み用のAirRESERVEにそんな言葉を載せた。
 改めて言うまでもなく、ぼくには占いの技術や才能はない、手相も読めない、占星術も知らない、水晶玉もどうしていいのかわからない。45分の間にして頂くのは、良く切ったカードを1枚ずつ、計3枚引いてもらう、それだけだ。カードには絵と言葉が書いてある。それを読んでもらう。そして一緒に味わう、というか話し合う。
 実は、煎じ詰めるとそれだけ。形はシンプル。タネも仕掛けもない。つまり、裏ねーし。でも、あるんですね。

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 カードには、どんなことが書いてあるのか?
 試しに実際に1枚引いてみる。
「わたしは/どんな境遇でも/やっていける」(I am totally adequate for all situations.)
と、出てきた。(このカードは英語からの翻訳です)
 そこで、この言葉と絵について、何か思い当たるところをお聞きする。
 すると、思い当たることがあってなのか、ばーっと話が始まる時もありますし、全然始まらず、何も出てこない時もあります。その中間くらいにも色々なバリエーションがある。その話を聞いて、感想を言ったりもしますし、黙ったままのときに、何か質問させて頂くこともあります。時には何もお聞きしない時も。そして、なんとなく、いいかな、という時に、カードを裏返してもらいます。すると裏にも言葉と絵が。表の言葉に関連したことが書いてある。そこでまた感想をお聞きします。

 それを3回繰り返す。
 すると、3枚のカードがテーブルの上に並ぶ。
 そして、そのカードの、と言うか、カードを含む場の、布置(=コンステレーション、星座)を読む。これも、読むことは読んでも、必ずしも言葉にする(出来る)とは限りません。出来るだけ、言葉にしようとは思っていますが、無理に言葉にはしない。と言うか、出来ない。ぼくが言葉にしなくても、ご自分で言葉にされる方もいます。
スマホで写真を撮られる方も多い。

 この、布置を読む、というのは簡単には説明が出来ません。というか、説明以前に、そもそもぼく自身が布置を読む、ということを本当に出来ているのか、というと相当に怪しい。というか、出来ているとは限らない。いや、そもそも布置は読み切れるものではない。というか、布置(星座)には幾重にも読み取り様がある。その意味では布置を読むのは難しいことだが、一方で相互に明らかなメッセージのように現れることもある。

 その際、1枚のカードは(そこに書かれた言葉と描かれた絵は)カードを引いた人を映す小さな鏡のようなもの、として扱っているとも言える気がする。それは言葉で、絵で、出来た鏡。そこに何かが映っている。でも鏡は小さく、形も大きな鏡が割れて出来た断片のようで、揺れて動いて、映っているものが定まらない。映っていても顔だか手だか身体だかのほんの一部で、全体像など到底分からない。
 だから、裏ねーし、のまま、二人で一心に、鏡を覗き込む。

 これは私ではない、と言われることもある。もちろん、それも当然で、偶然引いたカードの言葉や絵が、ピタリとその人の姿を映し出す、なんてことは実際はほぼない(有ったらそれこそ、占いだ)。むしろ、それでいい。気を遣われて、カードに書かれていることが当たっている、と言わないといけないのでは、と思っている様子の方も時々いるが、実はそれは必要ではない。多かれ少なかれ言葉や絵に、違和感があるだろうし、その違いを大事にする。いわば、その違いも鏡に映る。

 1枚、2枚、……とカードを引いていくと、その小さな鏡に映る像と布置から、おぼろげな姿が見えたように思える瞬間がある。大抵、そんなにうまいことにはならないが。
 仮に、見えた気がしても過信しない。言葉にすればいい、というものでもない。しばしば誘惑に負けて、言葉にしようとしてしまうのだが。……
 どうしても、まとめようとしてしまう自分がいる。まとめずに済ませられればいいのだが。
 最後まで、鏡は揺れている。

 いつの間にか、45分が過ぎている。
 それが、売らねーし。2021年の夏。

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(売らねーし、終了。カシワテラスは、社会実験としての役割を終え、
9月中にダブルデッキ上から撤去される。)

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