気分で判断しない

元々がぼんやりした?適当な?人間なので、感情とか勢いでエイヤエイヤと生きてきた面は大いにあるのだけど、大事っぽい選択はなるべく意思決定の精度を高めたいなーという気持ちが芽生え始めたここ2,3日(それも気持ちじゃねーか

いや、気分で決めていく事自体は悪くないと言うか、悪いんだろうけど、気持ちとか気分を蔑ろにし抑圧し切り殺した判断というのも歪だと考えている面もあり、いち要素として無視しないで上げてね!とは思うんだけど。気分とも、ちゃんと向き合ってあげてほしい。

そういえば学生時代に入っていたサークルの、当時の副代表が書いたブログの記事で、「モチベーションが下がったとか上がらなくてとか言い訳のように言う奴らがいるが、大層な事を言うな、モチベーションというのはそんなに簡単にブレるものではない、フラフラと変わるのはテンションの方だ、それらを混同するな」みたいな話があった。名文だったと思うのだけど、口惜しくも今は消えてしまっていて見れないんだよなぁ。逆にいうと、そんな10年以上も前の話が頭ん中に残ってるんだから、相応に印象が強かったんだなぁというのを改めて思うところ。
この「モチベーション」「テンション」という語の正確さはよく分かってないのだけど、ただ「目の前に気分に振り回される」というのはある話なのかもなぁ、ここで言いたかったのはそういう事なのかな?なんて今更気付いた!

例えば、今目の前に凄くつまらない事があるとする。「本気でやれば何でも面白くなる、つまらないのは全力でやってないからだ」みたいな言説はたまに見かける。・・し、それも一理はあるかもなぁなんて風に思ったりもする。この「全力でやってみたら面白くなった、やり甲斐を感じた!」みたいなもの或いはその逆の「つまらないこと」は、それこそテンション的なものであり気分の話なのかも知れない。

どこからが気分、一時的な感情、テンションの問題なのかをしっかりブレずに切り分けるのはとても難しく無いですかねぇ・・

感情の対極は論理でしょう、という事で「いま嫌なこと」をしっかり言語化して説明可能な状態にしておく努力というのは大事かもな、という風に思った。少なくとも、要素や視点を説明できるように取り出しておけば、また後から検証も出来る蓋然性は上がるよね?て考えてる。

やるかー!
今日の昼に人と会話していて「嫌なことプレゼン」みたいな話ばかりしている自分に気付き、それは気持ち悪いなぁ〜がっかりだなぁ〜話を聞いてくれる人や自分を取り囲む環境に対して誠実じゃ無いなぁ!と思ったので。
自分の不足を周囲に押し付けて逃避!!を気分にかまけてやってしまうのは恐らく最悪、今の自分はリスキーな決断をしようとしてるのかも知れないというのを改めて認めて、それを包み込む形で「よい選択」をするための思考を巡らす。難しい事やって、それでも望むものがあるんだー!て言いたいなら、ちゃんとやる事は必要。
筋を通すぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?