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潜水艦好き

 「ひょっこりひょうたん島」のあと「空中都市008」が始まった1969年4月7日、第一回放送が終わった。「三鷹市の堂山君が送ってくれました」私の描いた絵がお便りコーナーに採用された。中学1年始業式の夜のサプライズだった。
 NHKは「サンダーバード」に影響され、世界に売る子供番組として小松左京原作のSF人形劇を制作する。その告知を聴いた小六の私は、興奮して潜水艦の絵を描いてNHKに送ったのだ。
 今回は潜水艦の話。
 私の潜水艦好きは、映画「沈黙の世界」から始まった。フランスの海洋学者ジャック・クストーの探検を「死刑台のエレベータ」のルイ・マルが監督した名作だ。制作は1956年だが、私が観たのは小学校低学年。触発され、潜水艦の冒険小説を書いた。ちょうど石油危機が話題になっていたから、海底油田を探査する未来の潜水艦を描いた。空中都市なのに潜水艦の絵が採用されたのは時流だったからなのだろう。
 中学になるとアポロの月面着陸があり、興味はすっかり宇宙に移ってしまった。夏休みの自由研究はサターンロケットだった。高校の放送部でも、宇宙船が登場する放送劇を書いた。
 潜水艦好きが復活したのはシリコンバレー支店からだ。サンフランシスコの埠頭に実物が係留展示されている。NYに出張したときも、空母「イントレピッド」の博物館の横に係留されている潜水艦を見に行った。
 日本では遠くから見るくらいで、潜水艦の中に入るチャンスはない。大戦中は日本も優秀な潜水艦を建造したのだが、敗戦後、技術を盗まれないよう米軍はすべて破壊してしまった。
 あなたが潜水艦好きなら、イギリスの軍港ポーツマスがお勧めだ。ここは潜水艦基地でもある。展示されている潜水艦は、第二次世界大戦中、日本まで来たものだ。
最大の特長はガイドツアー。NYやサンフランシスコの潜水艦は「勝手に見て」ガイドはいない。ところが、ポーツマスでは元乗務員が解説してくれる。「退役したこの船にもう秘密はありません、何でも質問して」とガイドが言った。
 艦内が狭いから、一回のツアー参加者は十数人に限定されている。私が参加したとき、スウェーデン軍の現役の潜水艦乗りたちも一緒だった。ガイドがそれを知るとヒートアップして、「スウェーデン軍ではどうなんだ?」と質問を返す。艦内での食事、勤務体系、訓練、休暇と、他の参加者を置き去りにしてガイドとスウェーデン軍の質疑応答。ツアーは予定の時間を大きく超えてしまった。
 NYやサンフランでは、海に係留されているので上部甲板しか見えない。ポーツマスでは、潜水艦は地上に展示されている。だから、船底までぐるりと見て回ることができる。そのうえ傍には機雷や爆雷も展示されている。そんなものがプカプカしている海の中を、潜水艦は目隠しで進むのだ。「鉄の御棺」と呼ばれる訳だ。(まるでソフトウェア開発プロジェクトのようではないか)
 ガイドツアーの中から、面白いトピックスを紹介しよう。
【トイレ】囲いも部屋もなく、便座だけポツン。乗務員は男だけだが、現在から見るといかがなものか。そして、汚物を船外に排出するには水圧に打ち勝たねばならない。手押しポンプで排出するので、戦闘中はがまんするしかない。
【魚雷】椅子や机の下に食糧、ハンモックの下には魚雷。食糧や魚雷は消耗品だから、空いているスペースにとにかく詰め込む。魚雷は身長の倍もある抱き枕。中には戦艦を破壊するほどの爆薬と、プロペラを回す25気圧の圧縮空気が詰まっている。(一緒に寝たくない)
 魚雷の前半分が爆薬、後半分に圧縮空気のボンベとピストンエンジン。この前後の重量バランスが非常に微妙らしい。水面下を数キロも走る。水面に出てしまうと敵に気づかれ、逃げられる。完全に水没して行きたいが、深すぎると敵の船底を通過してしまう。水深数メートルを維持し、数キロ水平を保たねばならない。
 魚雷は意外と遅い。初期の魚雷は時速20キロ、それが進歩して60キロくらいになるが、それでも2キロ先の船まで2分かかる。船が時速10キロだと2分間に300メートル進む。船の長さの数倍前方を狙う必要がある。定規や分度器でコースをシミュレーションして狙いをつけていた。
【潜望鏡】艦長が覗く潜望鏡、憧れだ。それを体験できる。ところが、意外とぼんやりしている。展示用だから?古いから?いや本当にこんな映像で狙いをつけていたのかもしれない。これでは、よほどゆっくりの貨物船でないと当たらないぞ。
【訓練】発射口に装填できる魚雷は4本。発射後、ハンモックの下から取り出し、装填し直すまで四人がかりでかなりの時間がかかる。その間に獲物は逃げてしまう。魚雷は十数本しかない積めない。発射ボタンを押すには勇気が要ったろう。
 潜水艦映画の定番が水漏れ事故だ。深く潜航するとプシューとなるあれ。必死で止水する訓練は当然だが、英国では沈没してしまった場合の脱出訓練までやっていた。(不沈神話の日本海軍でやっていたのか?)この基地で大戦中からやっていたそうだ。そのために数十メートルの深いプールが基地内にある。現在の訓練模様をビデオで見せてくれた。
【人間関係】ツアーガイドの元乗務員が特に強調したのが、艦内の人間関係だ。戦艦には数百人も乗組員がいる。大和は三千人だ。厳然とした階級制があり、規律はとても厳しかったそうだ。一方、潜水艦の乗組員は五十人程度。狭い艦内に長時間閉じ込められるので、階級も規律も穏やかで、艦長に誰でも話しかけられたそうだ。その点ではとても快適だったそうだ。
 少ない人数でやりくりしなければならないから、他の部署のこともある程度知っている必要がある。誰か負傷しても、なんとか戦闘を継続できる必要がある。
しかも潜水艦には作戦上もかなりの自由度があった。無線で指示をすべて仰いでいては、敵に気づかれてしまう。敵を逃してしまう。一旦海に出れば独立ベンチャーなのだ。

 そういえば、高校の放送室は潜水艦みたいだった。狭い部屋にアンプやテープデッキ、ケーブルがぎっしり。マイクがオンになっているときは「放送中」の赤いランプを点灯する。アナウンサーが集中できるよう、調整室は暗くして赤ランプだけ。潜水艦の戦闘モードのようではないか。赤ランプの中、調整室の男たちは息を詰めてレコードやアンプを操作した。
 決められた校内放送以外は、好きな番組を作り、放送劇を作っていた。潜航中の潜水艦のように自由だった。

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