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中島りか「▢より外」(TALION GALLERY/目白)2023.5.27-6.25

 壺にはどこか怪しげな印象が付きまとう あなた運気が下がっていますね、 最近うまくいってないでしょう、でもこちらの壺さえあればもう大丈夫、ただし少々お値段は張りますが…。 宗教法人から売りつけられたと思しき高麗大理石の壺が、ネット上で極端な安値で叩き売られているのを発見したとき、 中島は何としてもそれらは破壊されなければならないという観念にとらわれたという。
 中島が好んで引用するハンナ・アレントは、 公共性の哲学者だった。 「人びとは [・・・] 自分がだれであるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、 こうして人間の世界にその姿を現す」。 公共空間で自らの考えを詳らかにし、 他者とコミュニケーションをとること。これが 「人間の条件」 である。 しかし壺は中身を隠したまま明かさない。 壺は公共性に反するのだ。
その一方、 宗教性と結びついた閉鎖的な壺のイメージは、 中島にとってポジティヴな価値をもってもいる。 それは私的な領域を確保するからだ。 壺は中身を隠す。 そうすることで誰にも煩わされることのない安寧の場をつくるのだ。 「かみさま」 にひとり捧げる祈り。 アレントにしてもただ公共の必要性を訴えるに終わらず、次のようにただし書きしていたのだった。 「私的領域を取り除くことが人間存在にとっていかに危険なことであるかを理解しなければならない」。 そのような私的領域について、 アレントは続ける。 「四つの壁は、共通の公的世界から身を隠すのに頼れる唯一の場所である」。 四方を囲まれた空間 本展タイトルの▢である。
 「人間の条件」 たる公共性に反しながらも、なお人間の生活に欠かせないプライベートな領域。 この▢の両義性を考えるべく、本展にあたって中島は長崎の隠れキリシタンの文化に取材した。 隠れキリシタンとは江戸時代のキリスト教弾圧のもと、密かに信仰を守っていたキリスト教徒たちを指す。 表向きは仏教徒として過ごしていた彼らは、やはり葬儀も仏教の方式を取らざるを得ない。 そこで行われるのが 「経消し」 と呼ばれる儀式である。
仏式の葬式が行われている間、死者を冥土へ送るために唱えられているお経の効力を消す 「経消しのオラショ」をキリシタンたちが唱え、仏葬が終わるとあらためてキリシタン式の葬式を行ったのです。
中島が注目するのはこの儀式で用いられる壺だ。隠れキリシタンは壺のなかに水を溜め、 経を吸わせる。 その水にオラショを誦することで経を清めていたのである。 本展のサウンド・インスタレーション ≪▢消しは、この「経消し」のフォーマットを借り受けている。
 忘れてはいけないのは、「経消し」 が経という仏教的なものを文字通り消すわけではないということである。 「経消し」にそんな力はない。 禁教令の時代だった。 公教以外の信仰が知られただけで迫害された時代だった。 ともすれば仏教に改宗させられてしまうキリスト教を、ともすれば公に絡めとられてしまう私を、「経消し」 はかろうじて留めおく。 そのための祈り、 あくまで私的でささやかな防衛のかたちなのだ。
▢の意匠は壺を含めて本展の端々に認められる。そしてそれらは往々にして、空間を囲い込みつつも同時に▢の不完全さもまた黙示しているようだ。 ▢は歪み、割られ、向こう側を透かして見せる。 たとえばそれは、ギャラリーという建築空間そのものである。 あるいはそれは、工事現場のフェンスの格子である。 そしてそれは、白い箱状の椅子であり足元の穴から覗く地下の空間である。
 もっとも重要な位置を占めるのは、インスタレーション最深部の聖壇布にあしらわれた緑十字 立方体を切り広げたかたちである。日本で独自に安全第一の標識として採用されているこのマークをホワイトキューブのギャラリーに設えることは、一貫してサイトスペシフィックな探求を続けてきた中島にとって、 西洋由来の現代美術が日本で独自に発展してきたありように対応するかもしれない。さらに言うなら、日常の形象にキリスト教的な意味を独自に込めてきた隠れキリシタンの態度にも通じているはずだ。
 触らぬ神に祟りなし。 中島はそれでも神に触れようとする。 隠れキリシタンにならって、壺や緑十字というありふれたイメージのうちに宿る神を見ようとする。神は都市のうちに顕現する。 啓示のように、ふと。

・ハンナ・アレント 「人間の条件」 志水速雄駅、 筑摩書房、1994年、 291,99,101頁、 傍点は引用者。
・宮崎賢太郎 『カクレキリシタンの実像 日本人のキリスト教理解と受容」、 吉川弘文館、2013年、143頁。

中島りか個展 「▢より外」 に寄せて 長尾優希
長崎の隠れキリシタンの牧師のフェリーの壁のマリア像とされた汚れ

この他に、隠れキリシタンが聖母マリアに見立てたという慈母観音菩薩の写真が2点と、「実在のマリア」として型どった慈母観音菩薩が白いカラーコーンの中に隠して鎮座していた。

中島りかは私的領域と公共空間の関係やリミナリティ、 中間性といった概念を手がかりに、 都市空間内での心身の社会的構築を示すジェスチャーを通して、異端的カタルシスとしてのアートの機能を探索しています。 サイン、シンボルといった記号論的な表現を用い、都市そのものに介入しながら、サイトスペシフィックなインスタレーションやパフォーマンス、 映像や写真など多岐にわたる活動を行っています。 ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ在学中より制作発表を行い、 2018年に卒業。 東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科を2023年に修了しています。
本展タイトルは「垣より外」という、 仏教のお経がキリシタンの死者の棺の中に入らないように唱えるオラショ(祈りの言葉)から引用されています。 長崎の隠れキリシタンの葬儀で使用される 「経消し」と呼ばれる儀式をもとに、そこに中島がこれまで自作でプライベートな領域をあらわす記号として扱ってきた正四角形の記号を代入しています。 またここでは、西洋由来の現代美術もまた一つの宗教性の顕現として捉え、展示空間のホワイトキューブ
も記号的に指し示されています。 本展ではその内側で入れ子状になりながら、対立しながらも混じり合う信心や、その様式を主題とした展示を展開します。

中島りか Rika Nakashima
1995年愛知県生まれ。 2018年ロンドン芸術大学チェルシーカレッジオブアーツ卒業。 2023年東京藝術大学大学院卒業。
近年の主な個展に、 「I tower over my dead body」 Gallery TOH (2021 / 東京)、 「Bodies On The Matter」TOMO 都市美術館 (2021/東京)。 近年の主なグループ展に、 「覚醒と幻惑:見えないものとの対話」 (主催 Stilllive) ゲーテインスティトゥート東京 (2022/東京) 「憑依実験 vol.1」 脱衣所 (a) place to be naked (2022/東京) 「Still Feudal - Yamamoto Handshake」 N/A/S/L (2022/メキシコシティ)、「不和のアート: 「芸術と民主主義」 東京藝術大学陳列館 (2022/東京) 「都市のみる夢」 東京都美術館 (2020/東京) 「前橋映像祭」 前橋 (2020/群馬)など。


[memo]
・spiritの派生語は、それぞれ似て非なるもの
・2週間の長崎滞在
・隠れキリシタンの子孫のフェリー運転手
・経消しのオラショ
・アニミズム


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